2010年8月23日月曜日

ミヤギさんやハンさんのような先生とダニエル君やドレ君のような子供であってほしい! 親なら思って当然!


新旧の映画「ベストキッド」を見た。この映画を見れば「ミヤギさんやハンさんのような先生とダニエル君やドレ君のような子供であってほしい。」と願ってしまう、とても良い映画であった。
 双方とても含蓄のある深さを感じるが同じ武道家として、ついつい比較してします。新の映画は、とにかく格闘技術は、ダニエルさんより優れている。ダレくんの運動神経もウィルス・スミスの息子だけあって凄い!美しい!スケールもカンフーの稽古風景と旧映画の空手の稽古風景では、全くの差があり新しい「ベストキッド」に旗があがる。心や教え、武徳は、ミヤギさんの戦争での悲哀からダニエル君にあたえる教訓は、旧が勝っている。カンフーと空手の違いが随所に感じられる。しかし、新旧ともに見る人に感動を与える良い映画であった。

2010年8月20日金曜日

二度死なせることは、許さない。


少なくとも俺たちだけは、二度死なせない!共に汗を流してきた「男の世界」である。みな、友であり師であり弟子でもある。この想いは、子供のころから共に戦った者でなくては、わからない。
「帰国」の南方で死んでいった幾多の英霊たちを「戦友」に忘れろといっても忘れられない。これと同じである。たとえ社会は、忘れても、俺たちには、忘れることは、できない。
            全日本拳法会本部長 浅井隆夫

2010年8月15日日曜日

人は、二度死ぬ!一度は、命を失った時!もう一度は、人々に忘れ去られた時!


TBSの終戦記念TV「帰国」で「人は、二度死ぬ!一度は、命を失った時!もう一度は、人々に忘れ去られた時!」と英霊が叫ぶシーンがあった。 なぜ、靖国神社に参拝しては、いけないのだろう!「戦犯もいるから!?」 日本人は、祖国のために命を落とした人たちを「二度、死なせている」

 とは言え!拳法会は、そのような理不尽は、許さない。少なくとも、若き血潮を燃やして盛り立ててきた「何もいうなよ!男同士は、胸ひとつ!」と言い合った。(時代が古く忠臣蔵の世界なので女性には、失礼!「男の世界」が存在した時代)
 
拳法会は、多くの先生から師事をうけた。昭和30年代の初期は、大橋千秋、昭和40年代中には、朝倉邦夫、浅井隆夫が活躍していた。朝倉邦夫は、大橋千秋の投げ技、寝技の師でもあった。このころから久田正孝、近田孝夫とも共に稽古していた。昭和40年代後半には、加藤修や榊原清司が拳法会の門をくぐりその後、大橋千秋、榊原清司が渡豪・NZしたため朝倉邦夫、山口(大橋)広子が拳法会を支えていていた。このような歴史の中、大橋千秋と義兄弟である朝倉邦夫も他界し親友の榊原清司も他界した。 それが朝倉邦夫杯であり榊原清司賞である。同輩と言えども敬慕と感謝の念も高く浅井隆夫は、朝倉邦夫に対し今でも敬意を表し近田孝夫も「本当に大切なことを決めるときは、会議での意見交換は、いらない!武士道では、目を見て決めるもと断言している」このようなことを忘れては、ならない。

2010年8月3日火曜日

40年前「命を救うための医療での死闘!日本武道を世界に広めるための死闘!」とても信じられない劇画の世界!


医療法人社団順洋会下村洋理事長は、中島たけし国士舘大教授、大橋千秋会長の若き日(30~40年前)の海外での異種格闘技との真剣勝負の話を聞き「今の人には、劇画の世界でしょうね!しかし、医療の世界も同じです。」と話した。
 今から、40~50年前は、もちろん携帯電話もない時代で下村先生は、「子どもの手術後は、心電図もないので一晩、隣で脈をとり、酸素ボンベの代わりにボールのような送気器で空気を押しながら送っていたよ」と言った。文字通り、居眠りをしたら命取りになるわけである。
 「命を救うための医療での死闘!日本武道を世界に広めるための死闘!」とても信じられない劇画の世界だよね!と笑いあった。隣で聞いていた森脇保彦教授(1981柔道世界世界チャンピオン)も面白がって聞き入っていた。 「面白い武勇伝ですねぇ!」と劇画の世界を楽しんでいた。
 しかし、酸素ボンベもなくボールのような送気器で空気を子どもを救うため送っていたことは、事実である。

 そんな時代であったが、ここに私たちが失い。忘れたモノがあるような気がした。手術後、添い寝して一晩、脈をとる医師! 己が信じるものを世界に広めようと死闘に挑む武道家!  そこには、ごまかせない真理が存在した!!