2010年12月30日木曜日

お釈迦様と武道 Buddaha and Bushido.


お釈迦さんの生誕の地であるネパールから日本の浜松市へ武士道を学びにネパールの人達が来ています。お釈迦様は、武芸の達人で刀や弓は、もちろん投げ技、打撃技(拳技)にも優れていたそうです。その国から「武士道」について勉強をしに来てくれる事は、とても嬉しい事です。私たちは、共に稽古をしながら お釈迦様が生まれた紀元前624年(諸説あり)ごろからの「つながり」と言うか「縁」と言うか?不思議な物を感じました。特に今年、12月に拳法会の修行と四段の昇段審査の為に来日したファタ(武陀)氏の風貌を見ていると仏陀は、こんな感じだったのだろうなと想像を掻き立てられました。
 ブッダの意味は、悟りを開いた人を意味します。
仏教では、修行を積めば、仏陀(ブッダ)になれる!仏陀になるため人は、修行するのだと言っても良いのかもしれません。「悟りを開き」仏様、神様に私たちもなれるなんてワクワクします。拳法会で修行を積むのは、悟りを開くためと思い始めました。
 私たち日本人は、仏教の教えを生きる事の基本思想にしているといっても過言でありません。日本の武道は、お釈迦様の武技の流れを汲んでいるという人も居ます。わたしも、そう思うだけで心が弾みます。
 縁あってネパール拳法会、インド拳法会など南アジアの人々に触れる機会を拳法会と言う武道を媒介とし与えていただきました。そこで、目標として2011年は、釈迦の教えにもう一歩踏み込んでいきたいと思っています。
The place of the birth of Buddha is Nepal. The Nepalese comes for Japanese Hamamatsu City to learn Bushido. The Japanese martial arts are related with the skill of Buddha. There is such a talk, too. It is not positive. However, the dream swells out. But,Buddha was superior in the sword, the bow, the skill of Kenpo.
 They come to Japan to learn Bushido from the country. I am very mysterious. I feel a relationship from the front in B.C. 600. Bushido has a modest heart. Bushido forbid a bad-mouth and a theft, a lie. Samurai value fairness. Samurai work for a country and the nation. These resemble teaching of Buddha.
 A meaning of Buddha is a meaning of the people who found realization.
It is decided that the aim of my 2011 learns Buddhology.
       世界拳法会連盟 会長 大橋千秋 IKKO president Chiaki Ohashi

2010年12月17日金曜日

公平、正直、勤勉、質素、倹約は、日本の誇るべき精神!とはいえ?

公平、正直、勤勉、質素、倹約は、日本の誇るべき精神である。そこで、今回は、少し違った見方で「公平」につき考えたい。
 先日、の稽古であるお母さんが道場の先生のところに来て「体育の授業で”逆立ち”が出来たのは、うちの子だけでした。うれしい!」と話した。その話を聞いて先生は、とても、うれしそうにしていた。そばにいた他の子のお父さんが「拳法会は、基礎運動能力を育てるのが実に上手だ!この子もあの子もうちの野球部の5年生の主力選手で、逆立ちをした子は、キャップテンですよ!先生!今は、野球をやる子が少なくなった!ところで、あそこにいる子もうちのチームに来ないかなぁ~」と話した。そしたら、お母さんが「だめ!だめ!あの子は、〇△チームの四番でピッチャーだから!拳法会で野球チームを作れば、絶対に優勝間違いないのにねぇ~」、それを聞いた拳法先生は、大変「誇り」に思ったようでした。しかし、その顔のどこかに、手塩に育てた子を「盗られる」気持ちが表れていた。そしたら、今年、チャンピオンになり運動神経、体格、技術共に比類ない子が「先生!俺の夢は、拳法会の先生になる事だ!先生のように!」と話した。そばにいた、南アジアから来た指導員が「◇◇君であれば、世界チャンピオンになれる!間違いない!」と言ったのを聞いた先生は、「泣くほど喜んだ」  喜んだり、心配したり、悲しんだり、世の中は、実に「公平・フェアー」に出来ている。
 しかし、少し、多方面から考えて見ると「公平」とは、「バランス」でないかと思う。全員が四番でピッチャーでは、決して良いチームとは、言えない。少子化で選手が不足しているなら野球やサッカーの選手となるのも公平自由である。しかし、拳法会の指導者としては、大いに、寂しい気持ちでもある。公平であると言うことは、苦しい事でもあるのだと感じる。
    「写真は、こんな顔の子に育てたい!」名古屋地区拳法会の子どもたち!

2010年12月6日月曜日

東北拳法会 岩手県矢巾道場にストーブ登場!


静岡県の浜松では、まだ、上着なしでもOKですが東北拳法会の岩手県矢巾道場では、道場に恒例のストーブ登場しました。今年は、寒波の年といわれていますが頑張ってくださいね。
さて、写真は、寝技の稽古ですが、岩手出身で柏崎克彦という柔道の世界チャンピオンだった人がいます。「寝技の柏崎」と呼ばれる人物です。この柏崎先生は、「日本には、スポーツがない!野球もサッカーも武道」と唱えています。確かに、高校野球を見ても礼儀を重んじ武道のように見えることは、間違いない。

2010年11月21日日曜日

拳法会の準備体操の歴史 The history of preparations exercises of Kenpo Kai.

拳法会の準備体操の歴史について、国民の健康を促進する目的で考案された国民体操・ラジオ体操(大谷武一氏)がモデルになっている。
 *1928(昭和 3)年の今日(11月1日)は、ラジオ体操第一が放送開始された日。ラジオ体操は、国民の体力向上と健康の保持や増進を目的とした一般向けの体操のことである。*
 このラジオ体操は、陸軍戸山学校にも採用された。戸山流の居合道、抜刀術も戦技向上のために戸山学校で誕生している。また、第二次世界大戦で敗戦した日本は、アメリカなどの占領軍GHQによりラジオ体操禁止令が発令された。
 さて、拳法会は、このラジオ体操を参考にし拳法会にあったアキレス腱のストレッチなどを加味し改良した。さて、この過程で忘れては、いけないことがある加藤真一閣下の訓えである。加藤真一先生は、東宮御学問所で昭和天皇の教授をされており武課体操を担当されていました。加藤真一先生は、「陛下は、先生が考案した10分間体操を最後までやりとげられた。他の生徒は、途中でやめてしまったが陛下1人になっても続けられた。立派な方である。」と話をしてくれました。その10分間体操の要素と精神性も加えて拳法会の準備体操は、今日に至っています。
The history of preparations exercises of Kenpo Kai. Nation exercises(Radio exercises) became basic. The teaching of Shinichi Kato of the teacher of the Emperor Syowa increases, too.
          世界拳法会連盟大橋千秋

参  考
昭和天皇の教育は、陛下を教育するため特別に設けられた東宮御学問所で以下、教授陣で教育された。
武課体操  加藤真一 (ホッケー普及にも貢献)
倫理    杉浦重剛
歴史    白鳥庫吉
地理    石井国次
法制    清水澄
国語・漢文 飯島忠夫
博物    服部広太郎
理化学   和田猪三郎
数学    石井国次・吉江琢児
フランス語 土屋正直他2名
習字    日高秩父・入江為守
美術    瀧精一

2010年11月19日金曜日

日本人の若者に欠けているもの!What is the thing which is short to a modern youth?

現在の日本の若者に欠けているものは?
 それは、祖先が残してくれた精神的文化の欠如である。『武士道』は、己の心身を強化して我慢を重ねて調和をはかる。そして弱いものを守るための修行、惻隠こそ武士道精神の底辺を流れる心である。勝者が敗者を尊び、年少、軽輩を侮らず年長を尊ぶ。この心を大切にするのが誠の武士(Samurai)である。信は万物の基を成すである。What is the thing which is short to a modern youth? The moral culture is the important treasure which ancestors left. The young people forget this moral culture. The winner respects a loser.

2010年11月7日日曜日

女性の立ち礼に違和感! 少し調べてみました。





最近の女性の立ち礼で威圧感を感じていませんか? もともと、武道から生まれた日本の礼法だが手を①の様に下丹田の上辺りで組まれると抜刀の姿勢に似ていることからこちらも思わず構えてしまう。この様にひじが張る礼法は、いつからどこでどのような意味で発生したのか不思議に思えたので聞いたり調べてみた。 どう見ても②のほうが自然で理にかなっているように思えてならない。

 大阪大学の村杉先生の話では、飛行機の乗務員さんから生まれたマナーでは?と言われました。いずれにしても武道の礼法としては、違和感があるので「武道の礼法」と言う本を調べて立ち礼に付き写真を添付しました。

2010年10月27日水曜日

名古屋の足立副会長からの手紙!嘘を真実と思っている若者!

   名古屋の足立副会長からの手紙!
最近の東アジアは、波高しです、先日、内藤会長とキャンベラ会議に出席しました。
その折、多くの豪州人と在留邦人らは異口同音「日本の将来が心配」と子供の国になつてしまつたとの声が聞かれました。
領土が守れない国になり、弱小国に落ちたとの言葉が、ショツクでした。
貴兄はどう思いましたか?今、シニアを含め、日本の将来を考え、動かなくてはならないと思います。
   *********
(大橋です。)
 私は、戦後の日本は、「嘘が道の真ん中を歩くことが出来る国」だと思います。
先ず、世界第二位と言われる海軍を持ちながら海軍を「海上自衛隊」と呼び、「軍隊でない」と言っています。駆逐艦を「護衛艦」と偽り、戦車を「特車」と呼び!敗戦を「終戦」! 占領軍を「進駐軍」!と嘘をついています。
 いつしか「嘘」が若き国民達に「真実」だと思われたところに要因があると考えます。平和で人のモノを盗まない!泥棒も殺人者もいない世界だと!
江戸末期に米国のペリーが下田に軍艦で押し寄せ「大砲」で不平等条約を結ばされた時代からの今日までの日本人の開放の戦いであること!まして、第二次世界大戦があり屈辱的敗戦をし、難題を押し付けられ領土を奪われたことすら自覚していません。 日本国憲法も日本人が作ったと思い込んでいます。 日本国憲法は、アメリカなど占領軍により作られたものです。こんな嘘を真実だと思って平和でみんな仲良くしてくれると錯覚しているお馬鹿な日本人自身に要因があるのでしょうね。まだ、日本は、領土を奪われたままと言うのに!

    武道について言えば 昭和20年武道禁止令がGHQから出され7年間の間で武道もスポーツ化されました。「武士道の喪失です」
 しかし、生徒や子供たちに正直に「武道とは、武士道である。日本伝来の精神文化である。」「武道とは、武士道をおもんじ日本国を守り、国民をまもる。又、敵を倒す!殺戮の技である。それゆえに高潔な武士道哲学が必要である」と正直に言うべきでしょう。 嘘がまかり通るのでわが国は、益々、泥沼に落ちることが予想され、苦慮するのでは、ないのでしょうか。

  PS1:終戦を敗戦(米・英etcに物量で破れた!日本の兵士は、勇敢であった!よくやった!)と認め、敗戦の屈辱を拭い去り奪われた領土を取り返すと言う意欲が必要ですね。 正直は、大切です。
  PS2:日本人は、まだまだ、強い!他のアジア人は、驚いています。
  PS3:平和を第一に考える国民であること。崇高な精神文化を持っていることも理解しています。
  PS4:日本の役人については、賄賂で動くアジアの役人同様に悪人としています。

2010年10月17日日曜日

拳法会の号令の番号のかけ方を統一しよう!

隣でバスケットボールの部活動の番号の号令をかけているのを聞いて、どうしても気になる事がある。それは、拳法会の号令のかけ方で、1(いち)2(に)3(さん)4=よん、とは、言わない!()が正解である。また、8(はち)、9(きゅう)では、なく()である。
 スポーツであれば、どちらでも良く間違いではないが、伝統武道としては、先輩からの訓えを正しく継承したい。おそらくこの号令のかけ方は、江戸時代末期ごろから始まったのでは、ないかと思うが先輩に厳しく「整列!旗手おいて番号!・・・・総員〇〇名!異常なし!」と毎日、稽古させられた。こんなところから、伝承してきた本来の物が失われるのは、残念である。もしかすると、こんなちょっとした事から、本物が失われていくのかもしれない。

2010年10月9日土曜日

医学の道もよし!教育の道、企業家、政治の道もよし! 拳法会は、自分の道、人生の目標を見つける手段

拳法会は、自分の道、人生の目標を見つける手段。 医学の道もよし!教育の道、企業家、政治の道もよし!
 その目標を後進に教えるのが拳法会であり先生、周りにいる父母兄である。だからこそ、子供たちを良く見てやり人生の先哲の師として助言しなくてはならない。
  拳法が強くなることを目指すのと同時に目標を見つけなくては、ならない。
           目標を見つけたものは、断固成し遂げなくては、ならない。

  希望でなく!目標は、成し遂げるもの!

坂本竜馬は、江戸の千葉道場で道を見つけた!多摩の士衛館道場は、新撰組となって熱い血を沸かせた。

「茶の湯」が「茶道」と呼ばれるようになったのは?「生け花」が「華道」と名称の変化・・・

茶道や華道にも「道」があります。
では、いったいいつから茶の湯が茶道に名称がなったのでしょう。江戸時代あたりから利休流茶道の根本とされる「和敬清寂」の標語が生まれ、幕末には、井伊直弼が「一期一会」の概念を完成させたと言われています。こういった精神的で教育手法が確立されて、現在「茶道」と成長しました。
岡倉天心がアメリカで『THE BOOK OF TEA』(邦題:『茶の本』)を1906年に出版紹介してから、「茶の湯」のことを「茶道」と呼ぶようになったという記述もありました。 武道との関りを感じます。

2010年10月3日日曜日

武道と言う言葉は、比較的新しい!と言うのは、間違い!?

以前、武道の定義と言うテーマで武道学会でワークショップが開かれた。その日本武道学会での多くの先生方の発表や私自身も「武道」と言う言葉は、近代になってからだと思っていた。しかし、ここ、10年ぐらいは、ひょっとしたら間違いであったんじゃないかと勝手に思っている。それは、東京大学の相撲部の部長で歴史学者である新田一郎教授の話を武道学会で聞いてからである。当時の話は、歴史学的に言って相撲は、侍・武士の営為にない。したがって「相撲をやっている=武道をやっている」では、ないと言う歴史学的見解でした。「となると空手や少林寺拳法など日本伝来のものでなく武士の営為にないものが多くあり、これを私たちは、武道と呼んでいる。」と言う発表でした。 となると相撲は、武道ではないと言うことになる。武道とは、殺人集団である武士が産み出した厳しい掟や節度、哲学だと言う。剣道の技術を稽古することと武道は、異質のものと言っている。この点から私は、「武道=武士道」は、同じでは、ないかと今は、考えている。誰かが「おはようございます。」を「オッス!」と言っていたように「武士道」を「武道」と言っていてもおかしくない。

以前、(社)障害者武道協会の代表理事で日本武道学会の柔道部会の国士館大の中島豸木教授にも話したが「フゥ~ン」と言う程度の話である。

もっとも中島教授にとっては、柔術を教育の一端とし「道」をつけたのは、尊敬する嘉納治五郎先生なので同意を得られるとは、思ってもいないが言ってみたかった。
 とは言え、わたしのこの「武士道=武道」論は、あながち正しいのかもしれない・・・。
                           世界拳法会連盟会長大橋千秋

2010年9月29日水曜日

第6回全日本障害者空手道競技大会の形 優勝


(社)障害者武道協会 中島豸木代表理事(国士舘大学教授)より メールが以下、届きました。
 ポントス先生が第6回全日本障害者空手道競技大会の形で優勝しました。おめでとうございます。本当に良かったですね!
   以下中島教授から
 ::::::
押忍 !
ポントス先生が、9月25日東京スポーツ文化会館にて、全日本空手連盟主催の「第6回全日本障害者空手道競技大会」で「指定形の部」で見事優勝されました。お知らせまで。
                                    愚弟ハイ
         *************

 (社)障害者武道協会協会に対する問い合わせ  東海地区拳法会本部 053-439-0909(NPO法人内)

2010年9月28日火曜日

静岡県立湖東高校の空手部へ行ってきました。 とても楽しく稽古し、良い選手もいました。


浜松の湖東高校の空手部へ神久呂道場の中学の神君と高校生の龍くんと行ってきました。とても楽しく稽古し、強くて人柄の良い選手もいました。中村先生や竹村先生の指導なのでしょうか好感の持てる子ばかりでした。

 大変に残念なことは、柔道部は、廃部になったこと、剣道部は、部員が2名であるとなどを顧問の先生に聞かされました。試合に出られなければ楽しみもなくなり益々、衰退していくでしょうね。また、希少の部員であれば、大切にしすぎて教育どころではないでしょうね。

 部活について真剣に考えなくては、森町の野球の例のように人口は、益々減少すること間違いありません。 学校の先生も忙しすぎて部員確保などかまっていられないのも事実です。すでに日本は、スポーツに関しては、発展途上ではないのでヨーロッパやオセアニア、アメリカのようなクラブ方式に成るのは、必然でしょう。地域クラブが地域や学校を代表してみなさんの応援を受け活躍する。

 しかし、空手部のように先生が頑張っている姿には、頭が下がります。
                                    世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2010年9月26日日曜日

武道の知恵で地球温暖化防止! 孫子の兵法が省エネに貢献!

「 武道の知恵で地球温暖化防止! 孫子の兵法で環境に優しい家づくり」(9/18)
 講演の内容
  戦争で敵と戦うとき孫子の兵法では、天(天候は、どちらが有利化)・地(地形は、どちらが有利化)・将(指揮官は、どちらが優秀か)・法(どちらの兵がよく統率されているか)・道(輸送路は、どちらが有利化)を比較し戦力分析をする。
 例えば、温室効果ガス削減、CO2削減の「家作り」をする時、「風向き、太陽の方向、日照時間」=天を考慮し窓やひさしの長さを決めるべきでである。また、軟弱地盤か?土地の高低=地 により基礎を工夫したり光を取り入れるため中庭を設ける・・・・と省エネな家が出来ると例を示した。
   武道の知識が省エネに貢献である。

2010年9月23日木曜日

南アジアの武道研修生!「武道発祥の地、日本! 武道を知らない日本の武道指導者が武道を駄目にする!」

武道発祥の地、日本! 武道を知らない日本の武道指導者が武道を駄目にすると思う。
 「TVの大相撲を」武道と勘違いするのと同じです。 ちょん髷があってもサムライじゃない。武士道も学んでいない。
 外国人から見た日本の武道。
日本の武道指導者で、戦争や敵が攻めてくることを想定しているしている指導者にあったことがめったにありません。ゲームやスポーツとしてとらえている先生がほとんどです。しかし、わたしの先生である拳法会の大橋先生だけが違います。先生は、平和を愛いしています。しかし、武士道をもったサムライです。
 わたしは、先生に「Katana(刀剣)がほしい」と言いました。先生は、「刀は、武士の魂」だと言いました。また、「武士の魂である刀は、何のためにあるか?」と私に尋ねました。わたしは、「自分が持って、強くなるため!」と答えました。 
 先生は、笑いながら「人を斬るため!人を殺すために作られている。だから、斬れるぞ!」と言いました。わたしは、驚きました。そのあと、先生は、自分の修業が足らねば、「自分を斬るのも相手が持つ剣(刀)だぞ。」と言いました。 従って、「礼節を尊び、暴言暴挙を慎まないとお前は、斬られるよ!死ぬよ!」と。 「武士道とは、死ぬことと見つけたり」すごい訓え哲学です。
 また、稽古をして、「己(自分)を律しないと剣は、己を斬る。」とも言いました。大変驚きました。
 「心に剣なくば、国は、滅び!子供は、売られ、女性は、陵辱される。 それを、防ぐのが剣であり武である。」
「おまえも、サムライになりなさい。そして、国のためになりなさい」と言われた。
 これで武道とスポーツが違うことが私の心の中で明白になりました。今の日本の武道の先生は、違うと言いながら,本当は、分けが解らず一緒にしています。これは、大変な事です。  
(●南アジアの武道家  ● Samurai)

2010年9月21日火曜日

歩行のニューロリハビリテーションからメカニズムを学ぶ!!


歩行のニューロリハビリテーションからメカニズムを学ぶことは、障害者武道やリハビリなどに役立つと考える。杏林書院から販売されています。
  拳法会053-439-0909(NPO法人内)

2010年9月15日水曜日

暴言や暴力、重箱の隅をツツク行為は、「自尊心の欠如から!」


-日本応用心理学会第77回大会ワークショップ in 京都大学 (社)障害者武道協会- から!
障害者の方々には、自尊心がない方が多い!やたら暴言や暴挙に出ることが多い。しかし、武道に接することにより暴力や暴言から制御する力を養える。「私は、柔道をやっているから!怒らせないで!」がそれである。 (わらしべ園 東先生)

これらは、一般人や健常者にも言えるし幼児から少年、青年の成長期にも当てはまる。(京都大学 田中先生)
 普通の人でも、例えば、学歴や経済性、虚弱であったりして負荷を感じている人は、自尊心が欠如しているといえる。従って、暴言や暴力、重箱の隅をツツイタ様なことで追い詰めたり怒ったりする。 しかし、武道で強くなることで明確な自尊心が芽生え制御力が生まれてくる。

2010年9月11日土曜日

悪口!誹謗中傷が平気で言える日本人!ネパールの研修生が感じたこと!「礼とは、序なり、序とは、秩序を言う」

 「礼とは、序なり、序とは、秩序を言う」 礼とは、護身である。先哲の士が築いた日本人の品格を下げている愚かな日本人!
ネパールからの研修生のブペンドラさんが拳法会からでて、日本社会の中で生活するなか驚いたことがある。武徳を重んじる拳法会から離れると醜いところも見えてくる。
 一部の日本人は、平気で「酷く他人の悪口を言う!」事だそうだ。 ネパールやアメリカ、外国では、言われた相手に、怒ってピストルで撃っような酷い悪口も平気で言えることに驚いているそうだ。

 今は、あまりにも平和すぎて日本人は、「無礼は、危険を招く」ことを知らないのではと思うほど無用心になっているのかもしれない。昔は、サムライは、帯刀していたので自らを律していた。 女も男も自らを律しなければ、危険が身を潜めている。

2010年9月2日木曜日

「数字と結果で判断してよいのか!」 日々、もっと大切なモノがあるのを忘れていないか?There is the thing which is more important than the number.

数字結果で判断してよいのか!」 日々、もっと大切なモノがあるのを忘れていないか?
 この事が良くわかるのが戦争である。 
硫黄島を舞台とした映画「父親たちの星条旗」「硫黄島からの手紙」は、日米の戦いの壮絶さと悲哀をあらわしている。 
 米軍死傷者2万8千人、日本軍2万人が死んだ。この数字を見て皆さんは、どう思うでしょうか?
「日本軍2万1千に対し米軍6万・・・・そこそこ、やったね!」と日本人であれば、思うだろう。これは、とても恐ろしいことだと思う。「数字では、ない!一人ひとりの生活のある命である。米軍の将兵の命も同じである。」
 次は、「勝ったか?負けたか?」結果である。
これも、アメリカ側にとっては、「勝ったと胸を張る」だろう。結果判断の恐ろしさである。 勝つとまた、前線の将兵のことを忘れてまた、戦いを肯定する。
  第二次世界大戦「硫黄島」で「数字・結果第一主義」での盲点を述べたが、教育や政治、経済の面でも、さらに深く考えるべきと思う。 柔道の嘉納治五郎は、オリンピックになることに決して賛成していない。武道は、スポーツやゲームと異なり精神教育・徳育に重きがあるからである。
 拳法会は、静かにその持つ天命を鑑み、また、進み社会・世のためにならなくてはならない。
Kenpo Kai do not estimate it as a number by a result. There is not Kenpo Kai by sports and the game.  It is the purpose to teach education as Budo and morality. The number is dangerous. The evaluation of the war is not possible with the body count.
                   世界拳法会連盟 大橋千秋 IKKO Chiaki Ohashi

2010年8月23日月曜日

ミヤギさんやハンさんのような先生とダニエル君やドレ君のような子供であってほしい! 親なら思って当然!


新旧の映画「ベストキッド」を見た。この映画を見れば「ミヤギさんやハンさんのような先生とダニエル君やドレ君のような子供であってほしい。」と願ってしまう、とても良い映画であった。
 双方とても含蓄のある深さを感じるが同じ武道家として、ついつい比較してします。新の映画は、とにかく格闘技術は、ダニエルさんより優れている。ダレくんの運動神経もウィルス・スミスの息子だけあって凄い!美しい!スケールもカンフーの稽古風景と旧映画の空手の稽古風景では、全くの差があり新しい「ベストキッド」に旗があがる。心や教え、武徳は、ミヤギさんの戦争での悲哀からダニエル君にあたえる教訓は、旧が勝っている。カンフーと空手の違いが随所に感じられる。しかし、新旧ともに見る人に感動を与える良い映画であった。

2010年8月20日金曜日

二度死なせることは、許さない。


少なくとも俺たちだけは、二度死なせない!共に汗を流してきた「男の世界」である。みな、友であり師であり弟子でもある。この想いは、子供のころから共に戦った者でなくては、わからない。
「帰国」の南方で死んでいった幾多の英霊たちを「戦友」に忘れろといっても忘れられない。これと同じである。たとえ社会は、忘れても、俺たちには、忘れることは、できない。
            全日本拳法会本部長 浅井隆夫

2010年8月15日日曜日

人は、二度死ぬ!一度は、命を失った時!もう一度は、人々に忘れ去られた時!


TBSの終戦記念TV「帰国」で「人は、二度死ぬ!一度は、命を失った時!もう一度は、人々に忘れ去られた時!」と英霊が叫ぶシーンがあった。 なぜ、靖国神社に参拝しては、いけないのだろう!「戦犯もいるから!?」 日本人は、祖国のために命を落とした人たちを「二度、死なせている」

 とは言え!拳法会は、そのような理不尽は、許さない。少なくとも、若き血潮を燃やして盛り立ててきた「何もいうなよ!男同士は、胸ひとつ!」と言い合った。(時代が古く忠臣蔵の世界なので女性には、失礼!「男の世界」が存在した時代)
 
拳法会は、多くの先生から師事をうけた。昭和30年代の初期は、大橋千秋、昭和40年代中には、朝倉邦夫、浅井隆夫が活躍していた。朝倉邦夫は、大橋千秋の投げ技、寝技の師でもあった。このころから久田正孝、近田孝夫とも共に稽古していた。昭和40年代後半には、加藤修や榊原清司が拳法会の門をくぐりその後、大橋千秋、榊原清司が渡豪・NZしたため朝倉邦夫、山口(大橋)広子が拳法会を支えていていた。このような歴史の中、大橋千秋と義兄弟である朝倉邦夫も他界し親友の榊原清司も他界した。 それが朝倉邦夫杯であり榊原清司賞である。同輩と言えども敬慕と感謝の念も高く浅井隆夫は、朝倉邦夫に対し今でも敬意を表し近田孝夫も「本当に大切なことを決めるときは、会議での意見交換は、いらない!武士道では、目を見て決めるもと断言している」このようなことを忘れては、ならない。

2010年8月3日火曜日

40年前「命を救うための医療での死闘!日本武道を世界に広めるための死闘!」とても信じられない劇画の世界!


医療法人社団順洋会下村洋理事長は、中島たけし国士舘大教授、大橋千秋会長の若き日(30~40年前)の海外での異種格闘技との真剣勝負の話を聞き「今の人には、劇画の世界でしょうね!しかし、医療の世界も同じです。」と話した。
 今から、40~50年前は、もちろん携帯電話もない時代で下村先生は、「子どもの手術後は、心電図もないので一晩、隣で脈をとり、酸素ボンベの代わりにボールのような送気器で空気を押しながら送っていたよ」と言った。文字通り、居眠りをしたら命取りになるわけである。
 「命を救うための医療での死闘!日本武道を世界に広めるための死闘!」とても信じられない劇画の世界だよね!と笑いあった。隣で聞いていた森脇保彦教授(1981柔道世界世界チャンピオン)も面白がって聞き入っていた。 「面白い武勇伝ですねぇ!」と劇画の世界を楽しんでいた。
 しかし、酸素ボンベもなくボールのような送気器で空気を子どもを救うため送っていたことは、事実である。

 そんな時代であったが、ここに私たちが失い。忘れたモノがあるような気がした。手術後、添い寝して一晩、脈をとる医師! 己が信じるものを世界に広めようと死闘に挑む武道家!  そこには、ごまかせない真理が存在した!!

2010年7月25日日曜日

俺は、花と咲くより踏まれて生きる草の心が好き!だと言った朝倉邦夫師範

昭和40年ごろは、高校野球がスポーツの花と言われ中京商業が春夏連覇した。野球のことは、わからないが、嬉しくて、よく電車のなかで一緒になるので「どういう練習をしたら勝てるんだ?」と中商の友人に、よく聞いたものだ。答えは「みんな同じように練習しているのだから素質だよ!」と言われたのを記憶している。 テレビやマスコミにもてはやされている彼らに反して汚く汗臭くさく決してもてはやされない道を進む朝倉邦夫は、「俺は、花と咲くより踏まれて生きる草の心が好き!」だと言いきっていた。
 今の日本の高校生でそんな価値観を持っている者は、いるだろうか? これこそ、武士道の心、日本を正しく導く心である。こんなことが言える若者を拳法会は、育てたい。

 吉川英治の著書「宮本武蔵」や冨田常次郎の「姿三四郎」の日本武士道の「心・魂」を「華や」かさや「利」「金銭」の西洋スポーツに覆われ消えてしまうようなことがあっては、いけない。

新社会人になったとき道を説く人!本を読むことが大切と教えるのが拳法会!

〇新社会人になったとき道を説く人がいない。
 自分にあった仕事が無いと言って、フリーターやパートでいる。新入社員として教育、鍛えられ成長する大切なときがこれでは、失われる。また、会社に入社しても精神から鍛える人もいなくなっている。
 鉄は、熱いときに打て!それは、拳法会が唱える、先ずは、幼児期(~8歳ぐらい)であり、入社時でもある。 わたしたち拳法会の指導者は、「道を説ける、後ろ姿で示す」ことが出来るように精進しなくては、ならない。

〇拳法会の若者には、「本を読ませる。」
 我が子を見ても「本を読まない!これでは、善悪の判断や自分の進む道を決めるときに手本にするものが無い」 お母さんたちにもお子さんたちに「本を読ませる」事をお願いしたい。
 
 大学教授を目指すも実業家、政治家を目指すもかまわないが「責任」を取れるサムライ魂を目指さずして拳法会の門をくぐるべきでない。
                           全日本拳法会 副会長 山本敏雅

2010年7月22日木曜日

幼児教育の大切さ!その基本は、運動能力!

幼児教育が人生を左右するといってよい!
 ①8歳までに運動能力を十分身につけると「自信」が付く!
 ②小学生高学年では、復習能力を身につけ学問の門を開ける。
 ③中学では、好む事を自ら学ぶ(予習・研究の門を開く)。
 後は、大学教授を目指すも実業家、政治家を目指すもかまわないが「責任」を取れるサムライでなくては、拳法会の門をくぐっては、いけない。
        世界拳法会連盟会長 大橋千秋 053-439-0909(NPO法人内)

2010年6月20日日曜日

第3回全国視覚障害者学生柔道大会2010.7.31 浜松市武道館 競技役員のお願い


昨年開催されました第2回大会に引き続き、第3回全国視覚障害者学生柔道大会が2010年7月31日に 浜松市武道館で開催されます。拳法会の皆さんには、競技役員をお願いしたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

拳法会の教えと仏教哲学


                 クマール・ラマ会長より贈られた仏陀の曼荼羅
釈迦、仏陀(悟りを開いたもの)は、本名をゴータマ・シッダルータと言いシャーキャ族の第三王子としてネパールのルンビニーに生まれ幼少より武術も学び拳法も達人であったと聞かされている。私は、つい最近までインドが生誕地と思っていたがどうやらネパールが生誕地であることがネパールのブペンドラ君の説明で判明納得した。しかし、ブペンドラ君(2010.3に国際武道大卒)も釈迦が拳法の達人であった事は、知らなかったようである。達人かどうかは、別とし王子とし文武ともに教育されていたことは、間違いない。私がネパールを訪問した際に授業で日本の武士道と仏教について講義した折、釈迦が修めた武術と哲学が日本に伝来し、ネパールは、親であると話しをした時、一同に驚きの声があがった。このような働きから2009年の4月には、ネパール日本教育文化交流協会(クマール・ラマ会長)が設立されていった。
 現在の拳法会でも当然、仏教哲学が拳法会の教えの原点にあるとしている。釈迦自身も毘沙門天など神を守護神としていたように拳法会も造物主である神に感謝と守護、崇拝をしている。ある意味、命をかけ闘う者の守護神を求める感もある。私自身も崇拝する人物が観音寺潮五郎の「天と地と」に登場する上杉謙信なので、それにちなみ毘沙門天を崇拝している。道を知らしめるのが仏教哲学であるとすると武士(もののふ)の守護と加護を祈るのが天である毘沙門天である。このような位置づけが闘いを常とするものの神仏であることは、事実である。
                              世界拳法会連盟 会長 大橋千秋
  

2010年6月13日日曜日

田植え!拳もまた鍬なり!拳法会の先生でタバコを吸うところを見た事がない。ネパールの研修生


ネパールの拳法会武道研修生のブペンドラ君。今日は、田植えの研修、「鍬もまた拳なり」彼が拳法会で稽古していて驚いた事がある。
1.拳法会の先生指導員がタバコを吸うところを見た事がない。子供の見本となっている。
2.ネパールの男たちは、すぐに殴りあいの喧嘩をするが拳法会の指導者が喧嘩をするところを見た事がない。他人を批判をした事もない。(ペルーのミゲルやポールが言うには、ペルーでも殴りあいは、多いとか)
 拳法会の男以外の印象
1.日本の男は、中学生がモノを盗んでいても注意できない。 ・・・・勇気がない!愛情がない!
2.小さな子供が駐車場でふざけて歩いていたら男性が寄ってきて「子供たちをどけてほしい運転手が可愛そうだ。」・・・これには、驚いた。大人が可愛そう??子供は元気で当たり前! この男!直接子供に言えよ!男だろう!お母さん達も気取ったこの男に「気持ちわる!!」ネパールでは、考えられない。

 外国から来た人の印象は、興味があるね!

2010年前期昇級審査! この姿を見たら全員合格と言いたい! 

各地区で昇段審査や昇級審査が行われていますが2010年前期最後の審査が6月12日浜松市可美総合センターで行われました。「拳法会の教え」では、
 すでに自分達の審査が終わっているのに正座や安座(あぐら)で眼霊(眼の魂)を受験者に送り応援している白帯の子供たちの姿に着目してください。お父さんお母さんの応援する姿勢も立派です。今回、受験していない子のお父さんやお母さんも多数、応援に来ています。
 白帯の子の子達は、幼年部から礼徳につき修業しています。また、6月6日の2級、1級の審査の時の中学生達も正しい道を歩むために修業しています。
 日本の多くの子供たちは、中学で道を失います。しかし、これは、学校教育のみが悪いのでは、ありません。親や先生が体の大きくなった子供に恐れを抱いたり、あきらめるからです。親は、学校に責任を放棄し、先生は、家庭が悪いと放棄します。放棄の教育環境では、日本のためになる立派な子供は、育ちません。拳法会の中学生や小学生を見本となるように育てましょう!
    問合せメール    
    電話053-439-0909(NPO法人内)

2010年6月6日日曜日

「礼徳」 昇段審査で受験者を見るより応援する者の姿勢!


「礼徳」を計り見るとき昇段審査で受験者を見るより応援する者の姿勢をみると良く分かる。他人事としてみているか?我が事のように応援しているか?人を応援できる人間に育てたい物である。
 指導者もタバコを吸って話しているような指導者では、碌な教育が出来ない。心にとめておく良い写真である。 連絡先053-439-0909

2010年5月29日土曜日

こんな子を育てたい! 母の日の神久呂の中学生!「孝」を学ぶ。


可美のママさん拳士の高津さんが素晴らしい光景をマーケットで見たが名前がわからないと言ってきた。
 神久呂支部の中学生が母の日にお砂糖を買っていた。拳法の稽古で見たことがあるので」声をかけた。「何に使うの?」その中学生は、「今日は、母の日です。お世話になっているお母さんへカステラを作るです。」と答えた。高津さんは、こんな子に育ってほしいと語った。わたしは、神久呂道場でこの子と予想をつけ話した。それが的中した。中村Y君であった。拳法会には、こんな子が多い。中学になると部活などで拳法を止める子もいるが多くの子どもは、がんばり抜く。傘を差し伸べた金城K君もそうだ。
 「拳法会は、拳法を訓えない。道を説く」  浜松神久呂拳法会 053-439-0909

 中学で人生が変りますね!こどもの人生を導くのは、親の責任!
学校で悪い言葉を覚えてきます。悪い言葉を使っても先生は、こどもを叩くことをしない。この状態を家庭にまで持ち込む!どうしようもない・・・今日のTお母さんの話。
 

2010年5月9日日曜日

神谷克己顧問がご逝去

神谷克己顧問が5月7日にご逝去されました。83歳でした。神谷顧問は、拳法会を深く理解し夫婦でも稽古に参加し発展に貢献してきました。また、大橋千秋世界拳法会連盟会長のよき理解者で神谷顧問が亡くなる最後の時まで「大好きな人」と言うほどの理解者でした。
 海外からのホームスティーや遠征にも参加し国際交流にも貢献した。信条は、「信義を尊び、新しいもの改革を恐れない」である。人生とは、かくありたいものである。

ご冥福をお祈りいたします。


     葬儀:平成22年5月9日 13:30-「とわに」浜松市浜北区新原

追伸:亡くなられる前の大橋師範は、神谷顧問を訪ねました。神谷顧問は、開口一番「寿命が来た!」と大橋師範に言いました。覚悟の上の会話でした。葬儀でお別れのとき大橋師範は、「天国で、ごきげんよう」と挨拶しました。

2010年5月2日日曜日

清掃ボランティア 青少年健全育成 環境保全、躾は、体感が一番!

体感、経験こそが教育で一番大切なことである。このBlogを見た団体や拳法会と共に研修を受けた団体は、皆、食事のときのマナーや清掃ボランティアなどに「和が広がる」 やはり!「経験こそ我が師」の訓えの通りである。

2010年4月16日金曜日

利益や試合で勝つことを目的とする環境では、王道を貫く、よい子は、育たない!

なぜ、今、武士道が見なおされているのか、体育徳育に限界のあるスポーツから武道へ!

 「孟母三遷の教え」とは、孟子は、はじめ墓所の近くに住んでいました。子どもの孟子が葬式のまねをして遊ぶのを見た母親は、これでは、いけないと商売屋が多い町の中に引っ越しました。ところが今度は商人(金儲け)のまねをするので、今度は、学校のある言わば、文教地区に引っ越しました。すると礼儀作法や勉学に勤しむ事をまねたのでそこに住むことに決めたというお話です。これは、環境が大切で子どもの教育には環境から大きく影響を受けると言う訓えです。これを「三遷の教え」と言います。少子化でどこのクラブも会員が減少する中、拳法会に多くの会員が加入しています。これは、自然に親として「孟母三遷の教え」の行いであるのではと思います。今の不況の中から子どもが健全に育つ環境とは?と考え自然に「孟母三遷の教え」が実践されているのでしょう。

2010年3月28日日曜日

親と大人の責任?出会いの運で一生が決まる。


入学の時期がきた。社会は、平等でないと、この時期がくると思うことがある。3月生まれと4月に生まれの子どもでは、入学の年も異なり人生が変わる。また、クラスに別れても異なった人生が始まります。
 そこで、その子の持つ才能を引き立てる担任の先生に出会えば、これまた、人生が変わる。スポーツや芸術だけでは、なく心や信念においても出会った先生によっても人生が左右される。しかし、それが、こどもに選択が出来るかというと言うと無理がある。やはり親と大人の責任が多い。孔子ですら子供のころ立派な子に育てるため母親は、良い環境を求め数度、引越しをしたと聞く。となると親、大人は、よくよく吟味して選択してやらねばならないし常に見ていてやらねばならない責任がある。
 外国人(ネパールの研修生)から見た拳法会は、ここ!  彼にも出会いと人生の変化がある。

2010年3月27日土曜日

拳法会は、稽古をやり続けることに意義がある。その時が来るまで、自分の居場所がわかるまで!

「稽古をやり続けることに意義がある。その時が来るまで、自分の居場所がわかるまで!」の訓えを今の時代では、忘れがちである。「楽しいこと」や「利がある事になびき易い。また、すぐに、批判家や評論家になり自分を楽にしてします。拳法は、正直だ。心に陰りがあれば、美しき技が鈍る!「気勢永く大地に埋もれ大地の骨となる」を本懐とすべきである。

2010年3月25日木曜日

親子!俺は、こんな親子になりたい!それぞれの親子の理想!


親であれば、親子の理想が当然あるはずだ。父親、母親は、それぞれどんな親子関係でありたいと理想をもっている。野球漫画「巨人の星」では、巨人軍の幻の名三塁手といわれた父親、星一徹が太平洋戦勝で負傷し選手として挫折するが、息子の飛雄馬にその夢をたくし「大リーグボール」を生み出し「天井に輝く巨人の星となれ!」と目標に向かい邁進するドラマである。はじめは、「親子」であるが「師」にかわり最後は、敵となって息子「飛雄馬」の前に立ちふさがる。男親にとっては、理想の父親像として憧れる。 貧しい一徹は、日雇い労働者としてお金をため息子、飛雄馬を名門のお坊ちゃま学校の青雲高校に入れようとする。その面接でPTA会長は、つぎはぎだらけの学生服の飛雄馬に「君の父親の仕事は、なにか?」とたずねる。飛雄馬は、「日本一の日雇いです」と答える。日雇いで土方をしながら飛雄馬の為に!親子共に巨人の星を掴む為、青雲高校を選び、入学の為にお金をためている事を知っていたからである。ネクタイをした今の父親像とは、違い。昔は、ねじり鉢巻でツルハシをふるう、こんな親父像だった。今、父親、親子の絆をもう一度考えて見たい。
 余談だが、高校の無償化が決まったようだが、こんなドラマは、うまれないだろう。

2010年3月16日火曜日

2010朝倉邦夫杯少年拳法グランド(寝技)優勝大会 「ハンディーを克服!小よく大を制する武道の醍醐味」


小学生達がチームを混成でつくり高学年の対象がオーダー表(出場選手表)を決める「寝技」のこの大会でAチームが優勝した。このAチームは、決して最強のチームでなく、むしろハンディーを背負ったチームであった。先鋒には、幼年部が2名と大将は、山崎せいじと女子の稲富はるか2名で交互に出場しなくてはならない不利な、チームであった。第二位のチームも副将は、女子で今関はるか(中)、西村みゆう(中)で第三位のチームも大将は。田村崎ねねと他のチームに比べ選手の構成は、劣っていた。結果は、「小よく大を制する」スポーツには、見られない武道の特質が出た。決勝戦もポイントゲッターが順番で出場できなかった!実際には、出場は、OKだが選手に平等にチャンスを与える精神を遵守しオーダーを決めた。この、圧倒的に不利な状況をチームと周りや先生が理解をし引き分けに持ち込み稽古量ともに充実した山崎せいじに戦う場を与え代表者戦をたくし優勝した。また、準優勝のDチームも次鋒に小杉れみとと言うポイントゲッターを持っているが先鋒には、幼年部と不利なチームであったが大将の岡本しんのすけの堅実な勝つときは、勝ち!負けない戦いで小杉れみとにつなぎ決勝に出場した。三位のBチームも大将に田村崎ねね(女子)1名で圧倒的不利であるがこの女子大将が負けない!粘ること粘ること!延長になっても最低引き分けてくる。そこで、池ノ谷こうすけ(中)、大桑れお(中)と言った選手の活躍を引き出し準決勝の進出し三位となった。

  正に武道の面白さである「小よく大を制す」であった。そこで

1.中、高、一般の先輩、先生の応援指導アドバイスが適所に活きていた。

2.父兄のアドバイスが的確であった。さすが、常に稽古でVTRや審判、サンドバックなどの手助けをしてくれているだけあり眼力が凄いとしか言いようがない。実に拳法会は、親子のコラボです。

3.応援盛り上がりが凄かった。

4.盛り上がりが凄いだけに時計係などの指示が審判に聞こえない事があった。

5.混成チームで小学生自主主導なので礼儀などに乱れがあつた。

6.入り口の履物などの乱れが目立った。

7.時間的に三位決定戦、決勝に余裕がなかった。

  反省を大いにして他の武道の手本となるべく更に「武徳と技」に磨きをかけましょう。

   〇写真     〇動画


PS:全国高校柔道選手権が3月20日東京武道館で開催されます。細川敦大(個人戦90kg級 NO28、団体浜松商業 NO48 先鋒 )が出場します。みんなで応援しましょう。当日は、大橋千秋先生は、名古屋で会合があるため国士舘大学柔道の中島たけし教授にお願いしてあります。写真も撮ってくれるそうですのでお楽しみに!!
      会員募集!053-439-0909

2010年3月11日木曜日

昨日の稽古で「宿題をやっていない生徒が5~6人も」


昨日の稽古のおわりの教科の時間で、3月13日は、寝技の試合がある。大きな相手、帯の色が上のあいてを見ると「自分の心が勝手に幻を見て錯覚し十分に力が発揮できなくなる。」 おまえ達は、自分に起こる奇跡を信じ他人の為に闘え!「先ずは、先生が喜ぶような試合をしろ!」と話した。

 ところで「宿題は、毎日きちんとやっているか?」と聞いたら、隣で「やっていません!」と応えたので「バカヤロー!なんでやらない!」と蹴り飛ばしたら「俺だけじゃない!直登もやってない!」というので直登も蹴りを入れたら吹っ飛んだ!そしたら、恐れをなして5~6人が名乗り出た。白帯の子に「おまえもやってないのか!」と凄んだら、「俺は、幼稚園児です!宿題ありません!」と叫んだ。俺の自慢の子ども達が宿題も出来ない事が許せなかったが考えてみたら自分自身もやらずに遊んでいた。勉強に目覚めたのは、高校時代で何が何でも1番になりたかった。大学では、とにかく多くのことを学びたかった。今回、もっとも憤慨したのは、宿題をやらなかった事ではない。「先生のの期待するサムライの卵達が先生を喜ばすような事をしなかった事に自ら憤慨したのだ」 お父さんお母さんも共に反省しましょう! 

 PS:高見先生が「流石ですねぇ~!6人の子どもは、みんな蹴られて吹っ飛びましたが、あれが、安全な蹴り方ですね!勉強になりました」・・・・この先生、よく見ている!!
 見ているお母さんたち15名くらいの一人が「愛情がこもったゲンコツなので子ども達、蹴られて喜んでいる!」・・・・・少し、脅しと言う強制力が少ないことも実感した。
(注)一部不適切な言動ととられがちな表現がありますがあえて、教育者の姿勢を問うために記載しました。お父さんお母さん達も考えてください。

2010年3月8日月曜日

学習院でも・・・!こどもの責任でなく、大人の責任では!教育について考えよう!


皇太子殿下と雅子妃の長女啓宮愛子さまが、学習院初等科に登校できない状態と宮内庁が発表した。学習院といえども子どもたちの教育の場であることに変りは、ない。子どもは、みな平等で変わりがない。 訓練がゆきわたっている拳法会の子ども達に稽古のあと「早く帰って寝ろ!」と言ってもボール投げや取っ組み合いをして暴れまわっている。なかなか帰らない。ボールもお母さんや女の子にあたる!先生が「こら!こっちへ来い!」と言ってゲンコツをくれても、しばらくすると又、大騒ぎ・・・・!やもなく「電気を消して!出て行け!」「お金を渡して下でジュースを買え」と追い出す。徹底的に礼節を訓練しても子どもは、このようなものである。 子どもの世界を理解して大人が介入すべきでないエリアがあることを理解すべきである。

 今回の宮内庁の公表は、よほどの事があってのことでやもなく公表したのだろう。

しかし、庶民の大人として愛情をもって成す事は、全てしていないと思わざるおえない。もう一つは、可愛い同級生,又は、後輩の女の子を守ろうとする友達の男の子がいなかったのが残念である。拳法会の少なくとも特錬の子ども達であれば、こんな事は、ない。友達の女の子が叩かれもしたら稽古中であっても即座に飛び出し助けに行く!

 大人たちは、子供たちのためにもう一度、深く考えなくては、いけない。

余談であるが皇太子ご夫妻とは、愛子さんがお生まれになる前にお話をしたことがある。確か桂宮殿下とニュージーランドへ行った少し前であったと記憶する。ご夫妻は、「恕」の心をもたれた立派なお父さんとお母さんと拝察する。それ故に皇室という立場を鑑み、まわりの大人たちの責務も大きく己を磨き判断せねばならない。拳法会の指導者も己を未熟と常に思わなくては、ならない。「学びて思わざれば則ちくらし、思いて学ばざれば則ち危うし」

                世界拳法会連盟 会長 大橋千秋

2010年3月2日火曜日

今の幼稚園では、拳法会が考える幼児教育は、無理!4時間のカリキュラムで一杯!園長先生も考える!


多くの幼稚園園長、先生、関係書と幼児教育につき話し合う事が多い。公立の園長は、通園を歩くことに園児教育の大切さがあると言い。義務教育であるべきとも言う。私は、変化に合わせ考えれば、高校の義務教育よりも価値があるものと思っている。また、ある私立の園長は、4時間の現在のカリキュラムで精一杯でとてもこれ以上の体育教育は、無理であるので父兄は、拳法会のようなところに求めるべきであると述べた。また、昔の子ども達は、なぜ側転や地上回転ができたのか?とも質問され答えれなかった。今、その答えを見つけた。それは、「みんなが出来た(動画)」からである。動画を追加
 みんな誰もがやるから真似をして自然に出来たのである。(動画) 何時の日からか分からないが出来ないものが教師になり、出来ないものが周リに多くいたり、見せないので出来なくなったのである。昔は、みんな側転が出来たので出来たのである。 写真のように用事の時から一緒に転がっていれば、自然に出来るものである。教えるものでは、ない。奇跡の技を作り出すのがこどもである。(動画)
           世界拳法会盟会長 大橋千秋

2010年2月20日土曜日

2010新年寒中水泳! 障害者武道協会の中島 豸木教授より!

「肉体ボヨョ~ン!」国士舘大の中島たけし教授から!新年の寒中水泳の写真が送られてきた。国際武道大学の柏崎克彦教授の肉体ボヨョ~ンも見える。「寝技の神様と言われた柏崎克彦」「オーストラリア、ニュージーランドに日本の文化と柔道を紹介した中島 豸木」。確か中島教授も66歳??ぐらいかと思う。なんといっても健康が一番!頑張ってもらいたい。 「武道の極意は、健康でであることである。」The secret of Budo is healthy. I think from swimming in the middle of winter in the New Year in 2010.

子供たちの成長の過程での「兄弟げんか」は、良い体験。「いじめ」もまた、よい体験

昔は、子供たちは、兄弟げんかや仲間との喧嘩で多くのことを体験で学びました。しかし、少子化で兄弟も少なくなり体験の機会がへってきているのも事実です。兄弟喧嘩の中で「痛みや」「手加減」「仲直りのチャンス」「仲直りの手法」・・・・など多くのことを体験し習得します。したがって、「兄弟喧嘩を途中で止めたり」しないでください。お父さんやお母さんの役目は、兄弟喧嘩に拳法会のように「怪我をしないルール」を設けてやることです。最近の凶悪な事件の背景には、手加減のできない行動(言動)があります。昔は、モノをもって喧嘩をすることは、子供たちの間で「卑怯」であり「卑怯者」と罵られたものです。「卑怯者」の言葉もなくなりましたが「正義」の言葉もなくなったのが残念ですね。「いじめ」も大切な体験です。この体験が十分でないと妙に誤解と被害意識を心の中で作り出してしまいます。以前、拳法会の目標の「恕=おもいやり、愛」がありましたが恕のこころをもつ子どもに育てたいものです。

2010年2月9日火曜日

「人は、常に未熟である。」「その未熟な己を導くのは、師である」

「徳育なくして真の教育なく!武徳なくして真の武道なし」これは、私の格言です。また、「武道とは、体育、知育、徳育の基本要素から成立し、日本伝統文化と心を継承ともに武道道徳修得と健全なる知力、体力の育成を目的とする。」と位地づけます。なぜ、こんな事をまた、書くか?と言うと、わたしの大学時代の同輩の片岡直博(剣道教師七段・鳥羽市剣道連盟会長?・・・共に稽古した同輩なので敬称略)から「おまえが何時も言っている。あれ!なんだっけ?平成24年の武道必修化に必要・・・」と電話が入った。人の道を子供のころがら説こうというこのこころみが、大相撲にあれば、朝青龍も引退という事にもならなかったのでは?とまた、考えてしまった。まだ、29歳の有能な人材の道を変えさせた事態に心が痛む。総合格闘技の石井慧と朝青龍がハワイで一緒に飯を食った?とも報じられていた。共に柔道、相撲を去った形となった二人である。共に言動や優勝後の態度に問題があるとも言われた。しかし、朝青龍と引退前に飲んだ人物も「いい奴!」と誉めていた。となると、やはり自分の言動をコントロールする「徳育、教育」と言うことになる。貴乃花親方が理事になったと聞いた。また、「教育」の担当者とも聞いた。 貴乃花親方に期待するところ大である。Budoka is always unripe. A person teaching me who am unripe is a teacher. Message of Nahiro Kataoka (Kendo7Dan Kyoshi). It is Bushido philosophy to control one's heart and behavior. Samurai does not criticize another person. About Asasyoryu of Sumo, we should watch it. Association of Smou oneself is a problem to be settled.
                            世界拳法会連盟 大橋千秋
PS:「人は、常に未熟である。」「その未熟な己を導くのは、師である

2010年2月7日日曜日

財団法人日本相撲協会について!ちょっと現実的なことから!


二所ノ関一門から離脱し日本相撲協会理事選挙に出た貴乃花親方についてマスコミは、騒ぎ、横綱朝青龍の品格問題で引退騒動がTVなどでとりざさたれている。

 わたしは、日本相撲協会理事選挙については、拳法会の組織のあり方として考えると二所ノ関一門から離れ貴乃花親方が理事に立候補し理事となり「己が信じる改革」をしたいと望むことには、大いに賛同できる。従来の「一門から候補あげる選任方式」も過去の役員会などで承認されたルールであるのであれば、当然、なんら問題がない状況のときは、遵守すべきであると考える。

 しかし、柔道や剣道とおなじく武道人口の減少と同様に相撲人口の減少がすすみ、日本人力士の低迷や大相撲界による様々な事件を抱えるようになった。一大事である!となれば、財団法人の定款に従い理事選挙を行うべきである。貴乃花親方は、New日本相撲協会を仲間を集い組織しようとしたわけでないし協会の資金を勝手に使ったわけでは、ない。 聞けば、「子供たちに相撲を普及し小学生のときから伝統の心をもった力士を育てたい。」との事だ。 拳法会となんら変わらないしモラルにも反していない。拍手を贈り共にがんばろうと言いたいくらいである。この点から貴乃花親方の行為が時期が早いとか若いとか第三者が雑言を言うべきではない。
 拳法会と弊会の関連ある「社団法人」「NPO法人」も心しておくべきである。

 もう一つ、横綱朝青龍の暴行、引退問題、品格問題であるが国民が根本的な誤解をしていると考える。「拳法や空手、柔道=武道」か?といえば、以前にも述べたようにNOである。「武士道哲学」を学んでこそ武道といえる。武士(サムライ)の営為の中かうまれた「武士道」には、武の行使を否定していない。「事実は?義がある行為なのか」を広く明確にしないで引退を迫ること事態に疑問を感じる。また、この事態に及ぶまで教育できなかった師や幹部にも課題がある。ここに至るまでになぜ、諸問題を整理と改革が出来なかったか?今になれば残念としか言いようがない。武士道を尊ぶ「教育環境」が十分であれば、朝青龍をこの様な事態に追い込まなくても良かったのでは?と考える。
 しかし、これは、相撲界だけではない。いつの頃から野球やサッカーのように金銭、利益が目的となり見世物的な試合形式を採用し観客を動員できれば最高とする嘆かわしい傾向にある。それを善とする日本人自身の教育レベルの低下が次々と第2、第3の朝青龍が誕生する土壌となっている。その土壌の中では、朝青龍を責める事は、出来ない。朝青龍は、大いに実力を発揮し日本人を喜ばし、貧しさの中から這い上がり「金持ち」になる夢を子供たちに与えた。これ以上の事を望むのであれば、私たち自身の価値観が変らねばならない。変わらねば、益々、誤解を生みエンドレスの悩みを生みだす。 マスコミも大相撲の変化、発展の1ページの事をあまり面白おかしくはやし立てるものではない。大相撲のことは、大相撲が解決すべきことである。
 貴乃花新理事に期待し影ながら応援をする。 世界拳法会連盟 大橋千秋



2010年1月24日日曜日

本部教科「正道を貫くには、3人の師が必要」


准指導員リーダー教育

 1.原理原則を教えてくれる友。 
 2.師(教えを説く)となる友。  
 3.直言してくれる友。
野球の野村克也元楽天監督は、子供のころは、歌手になろうと考えたり、映画俳優になろうと考えたと言っていた。これは、野村さんも私たちと同じ夢見る普通のこどもであったと言うことである。その野村さんが人生では、3人の友が必要とのことだ。その1人目は、原理原則を教えてくれる友。 2人目は、師となる友。 3人目は、直言してくれる友だそうだ。
 筋道や義を教えてくれる友人、師匠や苦言も直言してくれる友人の大切さを述べた。師・先生は、正しい道を見極めるには大切」との意である。「師無き者は、信ならず。(先生がいないと道を間違えてします。)」 です。野村監督のような大監督にも先生がいるといっていた。武術でも幾つになっても先生に先生がいて、その先生には、更に大先生がいる。まさに、これは、先のに述べた「師無き者は、信ならず。」である。
 また、合原准指導員は、野村さんの巨人の「3、4番バッターをお金でそろえても勝てない」との話を出し「みなさんは、それぞれの個性、特技能力を活かし指導者も4番を育てる指導者であっては、ならない」と話した。

2010年1月21日木曜日

黒帯、茶帯になれば、指導者の勉強を!そこで、ぶつかるモノは?

以前にもお話しましたが、昔は、黒帯は、ありませんでした。まして、茶帯も!
 一生懸命稽古していると白い帯は、汚れ「黒帯」「茶帯」になっただけです。一生懸命稽古した証です。 拳法会では、茶帯になると「指導力」の勉強に入ります。 人により指導方法が異なるのは、当然で指導者同士の意見も異なり対立します。どうにもならなくて悩むこともあります。「全てが勉強」です。ここで、忘れては、いけない事は、「着眼高ければ、理(利)を観て岐せず」です。
 高いところに、志があれば、目先のことで迷わなくてもよいと言う事です。 この、気持ちが養われないと「幻に驚き」逃げ出す愚か者になってしまいます。

2010年1月19日火曜日

野村克也さんの講演会「敵は、我にあり」 腹が太くなくては、人は、育たない。

東北楽天で監督を務めた野村克也さんの講演会「敵は、我にあり」に券を5枚頂いたので倉田先生や合原さんたちと行ってきた。少し、声が小さく聞きにくい処もあったが私が師と仰ぐ太田敏氏と風体、風貌が似ていたので非常に親近感を感じた。
 感動した話は、多々あったが南海の入団テストのとき野村さんは、肩が弱く遠投に1回目失敗した。そのとき手伝いに来ていた川津さんと云う方が「前に出ろ!前に出ろ!」と囁き開始線から5mも前で遠投し合格した話を聞いた。「野村克也の分かれ道!今日あるのは、前に出ろ!」の言葉のおかげだと話していた。 さて、以前、昇段昇級審査の合否やある会社の運動会の玉入れと幼稚園の玉入れのルール一脱に付いて話した。ある人は、厳格に正しい判断をし否とした!また、ある幼稚園の先生は、よしとし、新たなルールで楽しく締めくくった。
 さて、己の事に振りかえるとテストのとき「下がれ!」と言うほうではないかと器量のなさを省みた。人の一生を左右する「一言」。腹の太い人物でなくては、ならないと痛感した。
                       世界拳法会連盟 会長 大橋千秋

2010年1月17日日曜日

幼児教育の重要性を説く拳法会・浜松可美道場053-439-0909



拳法会は、幼児教育の重要性を説いている。何故、幼児教育の場(幼稚園=但し、幼児は、幼稚でない)が義務教育されないのか不思議に思っている。幼児のときほど、体育、徳育が必要と考えている
拳法会浜松可美道場053-439-0909

2010年1月11日月曜日

2010Keiko Hajime 平成22年稽古始

2010年稽古始式が静岡県浜松市の可美総合センターで行われた。稽古始式は、1年の安全の祈願と一年の目標を定める儀式で100名の関係者が集まり神前に誓った。The ceremony of Practice beginning(keiko hajime) was performed in general Kami center of Hamamatsu-shi, Shizuoka in 2010. About 100 people concerned gathered in the ceremony that established prayer of the security of one year and an aim in 1, and the keiko hajime promised before the alter.

神社参拝の留意 1.お賽銭は、神様に向かって投げない。 2.出入りの時は、鳥居の前で一礼する。 3.中央を歩かない。横を歩く。
Matters that require attention of the Shinto shrine worship.  1. Do not throw the money offering toward God.  2., at the time of comings and goings, bow in front of a torii.  3. Do not walk the center. Walk the side.

2010年1月6日水曜日

2010年謹賀新年 拳法会の目標「立志貫志」

2010 A Happy New Year. An aim of 2010 of kenpo Kai. Have big will.
拳法会の目標は、「立志貫志」=大きな志を立て、その志に向かい貫徹する。大きな目標があれば、目先のことで諦めたり動揺することは、ない。およそ志の低き者は、利や他人の意見に左右され愚かな事をしてしまうもので継続性がない。大きな志があれば、迷うことはなく。後世にそしりを受ける事もない。If you have a big aim; do not need to be upset to give it up in a small event. The low person of the will is influenced by profit and the opinion of another person and does a stupid thing. And there is not continuity. If there is big will, it cries to be at a loss. The person does not need to receive a bad-mouth in history.