2009年6月30日火曜日

師とは! 人生の「道をしめし!みちびく!」大切な役目をもつ人物を師と拳法会では云う。


拳法会では、師について 人生の「道をしめし!みちびく!」じゅような人物を師と称している。単に武術の技や学問を教えるものを「師範」とは、言わない。子どもたちの模範となり「未来を少しでも明るいものに出来るもの、夢を与えることの出来るもの」を師としている。昨今は、自己主義のために子どもの未来を奪うような輩も師と呼ばれている。 そもそも、武士道においては、次のような行動の例がある。  


 子どもがヤクザの子どもを殴ってケガをさせた。親のヤクザが談判に来たとき、父親は、つかさず殴りかかり留置所に入れられた。留置所にたずねて来た子どもに「お前が人のものを盗めば、俺も盗む!お前が殴ってケガをさせれば、俺も殴る。常にお前と共にいる」と・・・・含蓄のある訓えである。

 このように道をしめすのが師であり、模範となるのが師範である。 大橋千秋にも「心の師」がいた。太田敏である! 師というより父親といっても過言でない。もともと軍人志望であった太田敏は、血気盛んな大橋に「中庸」を常に態度で示した。 やたら攻めまくれば、粗暴であり!躊躇しすぎ下がってばかりでは、臆病者である。 全ての善は、その中間である「中庸」だと説いていた。

  また、「師、持たざる者は、信ならず」とも言い。多くの人の声に耳を傾けろとの教えでもあり、「道を示す師がいない人物は、道を誤る可能性が大きい」ので注意が必要との教えでもあった。

拳法会の理(ことわり)は、剣にあり!


拳法会の理(ことわり)は、剣の理であることは、以前にもお話した。空手系と思われがちだが宗家・大橋千秋の師に空手の師は、いない。大橋の同輩である三重県県道連盟理事の剣道教士七段の片岡直博も「拳法会の理(ことわり)は、剣の理である」ことを肯定している。「押忍」の挨拶から全てが若き日に学んだ伝統を継承している。打撃、関節技を中野師範に学び、長嶺耕史先生(師であり先輩でもある)により初めて剣道の手ほどきを受け、海外で他の武術影響をうけ秘かに「真の武道の継承」をしているのが拳法会である。
 合気道の塩田剛三と大橋千秋が若き日に語らう中で共通するものを感じたのは、ここにちがいない。合気道、鳴鶴会副会長の高橋一郎先生が「合気の理は、剣である」と言った言葉にもうなずける。

2009年6月20日土曜日

拳法会の心の三悪とは、「迷い、恐れ、侮り」! 「裏切り」は、「不満」から!不満は、三悪から!

拳法会の心の三悪とは、「迷い、恐れ、侮り(あなごり)」である。「迷う事なかれ!恐れることなかれ!侮ることなかれ!」常にこの教えを唱え稽古しなければ、「万水映月(全ての水は、そのままの月を映す)」の心を保つことができない。八正道の正見、正思しないと正しい動きは、出来ないものである。無心でなくては、打ち込むときに迷いが生まれ「清らかに打ち込む」事ができない。
 人生においても同じで「心の三悪」で「不安」という「心が勝手に産み出した幻」に恐れていては、自暴自棄になるばかりである。これを抜け出す手段を、「欲望・富」と錯覚する。「利」を求めてしまうと、ますます空腹には、耐えられなくなる。そして、心の肥満により様々な病が体の中に住みつき吹き出物のように腫上り、醜くなる。これが「不満」である。醜くなると周りの人が距離をおくのは、あたりまえである!「忠告や教えを請えなく」なり、距離が離れると更に腫上り、醜くなる。それに耐え切れず「裏切り」で己を楽にしようとする。 これが、「師を失い、友をなくす」 自らの成せる心の病の元凶である。 心の三悪に打ち勝つ修錬がこそが大切である。
                    世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年6月14日日曜日

「幼年部の教育」 拳法会方式 幼児の拳法会教育は、大切!

幼児の拳法会教育方式の要点は、5つある。 
 まず、背景は、拳法会に入会する幼児は、三歳ぐらいから入会してくる。稽古時間は、集中力から考え30分間から60分としている。拳法会では、入会の三歳から目的が達成される7歳を幼児とし一貫した教育とする。

1.黙想、基本の呼吸法を徹底し幼児の安定した心を養成する。
2.楽しく体を動かすことで「幼児の潜在能力」を出来るだけ多く引き出す。
        =自由に稽古させ形にはめ込まない。(人は、潜在能力を生涯で2%しか使わない)
3.幼児は、「転がり、飛び跳ねる」ことが楽しい。・・・出来るようになることを教える。
4.幼児は、「戦って勝つ」ことが楽しい。・・・勝つ事で「誇り、誇る」ものを与える。
5.幼児は、「幼稚」ではない。 技を考えさせることで「知恵」は、勝つ「根源」であることを「体験」させる。(パートナーがいて技が完成することを知る)

 1から3は、五歳までに修得させ安定した心を養い!七歳までに人生の心と体の基盤を育成したいと考えています。
  拳法会は、少子化防止と青少年健全育成のため「幼稚園の無料化と武道の必修化」を進めます。
        社団法人障害者武道協会

2009年6月13日土曜日

段位の歴史 准段は、拳法会独自の段位!何故生まれたか?

          「段位の歴史」     世界拳法会連盟会長 大橋千秋
段位制度は、大橋宗桂(Ohashi Sokei)1555年(弘治元年) - 1634年4月6日(寛永11年3月9日)により考案されたことは、以前、お話しいたしました。さて、拳法会には、准段(1級と初段の中間)があります。准段は、海外で誕生しました。昭和40年代、50年代に私は、海外で武道の普及を勤めていました。当時は、良質の黒帯で刺繍を入れた物は、日本より取り寄せていました。そこで生徒に「意欲」を持たせることと「経済的」な配慮から黒帯に白い線を1本入れた物を「准段」の帯として准段を制定しました。もうひとつの理由がありました。それは、例として、オーストラリアやニュージーランドの外国の指導者は、いくら優れていても「初段」程度の段位保有者しかいませんでした。当時、柔道では、中島豸木教授(現国士舘大学教授)が五段、私が拳法五段、剣道四段で空手では、ブリスベンにいた辻民夫先生が五段であったと記憶しています。現地のオーストラリア人の先生は、初段でした。従って先生が初段なので先生の1段下の黒帯「准段」が必要となったわけです。(従って、准段は、白い線の入った黒帯だっのです。日本では、茶帯ですが!)どうして日本が茶帯かといいますとわたしが日本に帰国し子供たちの励みのために世界で導入していたカラフルの帯(韓国で製造)と級制度を更に普及しました。現在、フルコン空手で使用されている防具も小手も、元は?と言えば価格を抑えるため昭和40年の初めに韓国の友人に頼みデザイン、製造をし導入して採用していました。その防具の採用で小・中学生のレベルが向上し日本でも1級と初段の間の段位が必要となったわけです。それが准段です。当時は、准段は、中学生を対象としたものだったのです。 また、黒帯に線が入っているのを雑誌などで見たアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの外人の空手や武道の先生は、「ファッション性」と俺は、「五段とか十段!」だと誇示することを目的とし線が黒帯にたくさん入るようになったわけです。
 しかし、拳法会では、初段より1本入れば、1歩手前の段位だったわけです。
「准段」の段位ひとつにしても歴史があるわけです。

2009年6月10日水曜日

「不安」とは、己自身の心が作り出す「幻(まぼろし)」 拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず。

私は、「拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず」とよく言う。確かこれは、戦国時代の剣聖であり新陰流の祖で「剣は、心なり・・・・」と唱え「無刀とり」、活人剣の、上泉伊勢守信綱の訓えであったと記憶している。 正しい事を判断する心は、多くのものに影響され見えなくなり道をはずれ迷い込んでしまう。そして、「抑圧」され「不安」という幻に怯えてします。そして、その幻から逃げようとする。 子ども達も同じである。心の片隅にある不安が己自身を抑圧し「殻」にこもり「逃避」や「欝」の世界に入り同じ仲間で慰めあってしまう。 それを救う手立ての一つには、「師」である。 その師が不安を打ち砕く「誇り=誇ること」を持たせてくれる。「誇り」は、様々であるが「地上回転」や「逆立」であったりする。幾つになってもこの様にあたえてくれる師を持たない者は、悲しい!「師なき者は、信ならず」とも言われ「心底、人に信用を得られない」のである。 立派な人物は、相談すべき師が常いるものだ。
  「不安とは、己の心がつくりだす幻(まぼろし)」 この幻を打ち砕くのが「誇り=誇れるもの」
                                 世界拳法会連盟 会長 大橋千秋

2009年6月8日月曜日

「自得は、畢竟己にあり」H.21年度青少年健全育成会議総会・講演から!


    「幼稚園児」は、差別用語!この時期が人生の基本、「親は、子供により成長し大人になる」
H.21年度静岡県青少年健全育成会議総会の講演で、はやし浩司氏が講演した。要点は、
1.0~2歳は、基本的信頼関係の構築期・・・親に絶対的な受け入れがあって心が開ける関係が出来る。(ウンチをテーブルの上でしようが笑って受け止めてやる)
2.2~4歳 自立性の構築の時期
3.4~5歳 優位性を伸ばす時期
  親の権威を前に出すとよい子ほど「抑圧」を感じる。それが、成長すると突然に「うつ病」や「引きこもり」になる。
 離別体験が「うつ病」の源となると言われている(39%)。もっと悪いのは、夫婦の騒動が更に子どもに影響を与える。
 親が子どもを育てると考えるのは、まちがい!「子どもが親を成長させる」。 幼稚園から小学校そして中学校へと進むなかで挨拶も出来ない親が立派に挨拶が出来て子どもの見本となる。考え方も自分中心でなく他(子ども)中心の考えが出来るようになる。
 問題を起こす子が問題でなく親に問題がある。「子どもは、家族の代表である」

世界拳法会連盟会長大橋千秋: 私は、若き日に講師の林さんとは、オーストラリアにつき話し合ったことがある。林さんの夢は、お子さんを豪の大学に留学させる事と聞いていた。 そのお子さんは、豪から「うつ病」で突然帰国した。「家庭内暴力」や「引きこもり」で大変苦労したと聞いている。この壮絶な体験があってこそ真の子育て論を確立したと思う。