2009年12月14日月曜日

著眼(ちゃくがん)高ければ、 則ち理を見て岐(き)せず。

「著眼高ければ、足下の利に惑わず」 高所から見て志を立てれば、目先の損得に惑わされることは、ない。「迷い」は、自分の心が勝手に見た幻である。「一億円契約でうちの野球チームに来ないかと言われても志高ければ動じない不動の心」を言う。There is not that the will that you found from the high place changes by profit under the foot. Phone 053-439-0909
PS:著眼=着眼 則ち=即ち 理=利 とするともっと理解し易いのでは・・・

2009年12月13日日曜日

Reitoku(Morality of Budo) From 12th Butoku Cup Kenpo Team Competetion.「少にして学べば、壮にして惑わず」


私達が継承しなくてはならない。
武士道と礼徳。As for us, handing down it takes responsibility. Bushi Do & Reitoku
本大会の熱戦と盛り上がり、声援は、言うまでもない。
 着眼すべきは、礼徳であり、武徳である。拳法についてくる小さな子供たちまでも場外で履物を並べていた。サッカーの長沼健さんが日本サッカー協会の会長のとき「日本のサッカーも武道です。」と私に以前、愛媛県の新居浜でおっしゃった。長沼さんにも武士道・武道に対する憧れがあると感じた。日本の野球やバスケットボールで国歌斉唱のときガムを噛んでいたりバットを投げ捨てると「批判」が飛びまくる。その原点には、この写真にみられる「武道」が私達の血のなかにあるからだと考える。
 しかし、柔道の国士舘大学中島豸木教授が「どうしたら柔道や空手も拳法会のようになれる」と柔道大会の「後かたずけ」のときに漏らしたのも現実であり私達は、拳法会を媒介とし後進、青少年に継承しなくては、ならない。  「少にして学べば、壮にして惑わず!」 少年期に苦労をし文武の道を極めれば、大人になり迷うことは、ない!
 江戸時代の儒学者佐藤 一斎は、言四志録で「少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。 壮にして学べば、則ち老いて衰えず。 老いて学べば、則ち死して朽ちず。」と説いている。
Small children arranged shoes. The players hold the mask aside. They do not neglect a thing. Small children support you in Seiza.

2009年12月4日金曜日

「不撓不屈Futo Fukutsu」の精神! 「不屈」とは!


Futo Fukutsu is the mind that nothing can dampen. However, the weight of the kick of the life is stronger than the weight of the kick of Kenpo. Ishida Mitsunari carried through justice for mind of Futo Fukutsu for the kick of the life.

「不撓不屈」(Futo Fukutsu]とは、強い意志をもって、どんな苦労や困難にもくじけないことを言います。私は、高校生の頃によく先生先輩に言われ、この言葉が脳裏に焼きつき、どんなに厳しい稽古もあたり前のように耐えぬけたものです。しかし、武道の「稽古の蹴りの重さ」など人生の「蹴りの重さ」に比べれば軽いものです。 その人生の蹴りの重さに耐え抜き「義」を「不屈」の信念で貫いたのが石田三成(Ishida Mitsunari)だと松平定知氏は、言っています。拳法会を通して「不屈の魂」と葉隠れ武士道にある「苦の道と楽な道」があるとき「苦の道を武士(サムライ)」は、選ぶべしの訓えを子ども達や世界に広めたいものです。

2009年11月23日月曜日

「成らぬといふは、成し様足らざる故なり。」葉隠武士道 Own effort and technique are enough for cannot do it. Hagakure Bushido.


葉隠武士道に「成らぬといふは、成し様足らざる故なり。」と云う訓えがある。
 物事が巧くいかなかったり出来ないのは、自分自身の努力や手法が十分でないからである」と訓えている。「自得は、畢竟己にあり」である。
 もう一つの面から見れば「成果というものは、その時の状況、運命など第3者的なものに大きく左右される物」である。従って「己自身の成ったか否かは、己自身の心の満足でしかない」この心の制御が上手にいかないと「満たされない心が幻を見てしまう。」そして、幻を見ていることすら分からなくなってしまうものである。大学の空手部の監督から現代の空手の世界は、次から次へと新しい流派や団体が生まれると云う話を聞いた。進化していると受け止めるべきか?否か?しかし、これが心の制御が上手にいかないで「満たされない心が幻を見た」結果であれば、葉隠れで云う「成し様足らざる故なり。」である。ほとんどの場合は、これにあてはまり消え去っていってしまうのである。とは云え、柔道の嘉納治五郎先生のように柔道は、柔術の一つと思いつつも「教育」という理念のもと確立したものもあることも心得なくては、ならない。Own effort and technique are enough for cannot do it. This is teaching of Hagakure Bushido. The result is affected by fate. It is important that We do the evaluation by oneself. It is important that we notice the dissatisfaction being the illusion that the heart that is not satisfied watched.

2009年11月17日火曜日

人の縁と言う輪(和)を失うと灯台を失った船となる。We lose a course if We lose a relationship.

The human being does not become it unless we value a relationship. The relationship is continued by an ancestor. We lose a course if We lose a relationship.
 「人の縁は、大切にしなくてはならない。先祖からのつながる縁を断つようなことをしてはならない。特に先哲の師との縁を失えば、暗闇に光を失ったようなものである。一族も同様である。主人が死んだからと言って主君や師を疎かにすれば、暗闇の中の人となる。およそ、武士たるものは、七生報国の肝が据わって武士と言える。」

 ヨーロッパに柔道を広めた人の一人に道上伯先生がいます。わたしは、ヨーロッパの柔道のホセ先生のお宅の食事会に招かれ一枚の写真を見つけました。ホセ柔道師範が持っている写真の左が故道上伯先生、右がホセさんです。
 その、道上伯の先生が村井正直先生のお父さん(嘉納治五郎の愛弟子)です。私は、今年の7月に、この事を国士館大学教授の中島豸木(Takeshi Nakajima)先生に連れられ京都に伺ったおり、村井正直先生との会話の中で知りました。   http://kenpokaioshie.blogspot.com/2009/07/blog-post.html
 私は、ヨーロッパのスペインでも人間は、人がこの世に誕生してからの縁と言う輪(和)でつながっている事を深く認識させられました。 人は、この縁を「自己の面目や利、愚かさで「」で捨ててしまいます。この縁を失うと道に迷ったとき道路標識がないのと同じ状態になり、抜け出すことができなくなります。また、愚かな人間は、迷っていることすら気づかなくなります。人生の道路標識や灯台を大切にしたいものです。            
   世界拳法会連盟 大橋千秋  053-439-0909

2009年11月15日日曜日

礼儀というよりも礼徳を説いている。The etiquette of Budo preaches etiquette virtue not a ceremony.

The etiquette of Budo preaches etiquette virtue not a ceremony.
山本敏雅先生よりお借りした「武道の礼儀作法」野中日文著につき紹介させていただいている。この著書の思いは、単なる儀式である「礼儀作法」ではなく私達「武道人」への批判と警鐘そして日本人のあるべき姿を想って書かれているのでは、ないかと推測する。著書の中では、「決して他集団を批判しているものでない」と述されているが大いに批判されたと感じた。これは、同じ思いであると受け取ってもらっも良い。また、無断で著書を紹介したり一部を公開しているのもこの著書を読んだものが道場で実践することを著書自身が求めていると勝手に拝察したからである。私は、合気道は、30数年前に中島豸木国士舘大学教授に3ヶ月、豪タスマニア大のクラブで、友人の溝垣護氏の引き合いで塩田剛三先生から数時間、そして拳法会の柔法師範の大東流柔術の高橋一郎先生から今も学んでいる程度である。と言っても、高橋先生が生徒に教えておられるのを見て「摩訶不思議な術だなぁ・・・と言いながら木刀を隣で振っている」程度である。そんな未熟な者であるから諸般をお許しいただけると思っている。
 さて、余談は、さておき「礼儀というよりも礼徳を説いている」についてである。「薪水の労をとるとは、どういうことか」という事が記されている。師に近侍し朝の洗面から夜、寝るまで仕えわが身を修業することである。スポーツは、遊びであるが修行は、学び己を崇める事にある。私達の時代であれば、合宿寮で先生や先輩の朝食の準備から稽古の準備、入浴、就寝までの修行である。ご飯の盛り方、箸の付け方、入浴の三助のやり方など規則付けられていた。武道の素質に乏しくて純粋な武道バカのわたしには、テクニックを学ぶより大変な勉強になった。「礼徳、武徳」を教えて頂いたと言える。このようなことから野中日文先生は、「礼儀というよりも礼徳を説いている」と感じている。
 またまた、余談であるが師と想う、故太田敏氏が「大橋が、素質に優れていたり、純粋な武道バカでなければ、異種格闘技との真剣勝負に勝てなかった!」と常に言われていた。まさにその通りで拳法や剣道の試合と「命と日本武道の名誉」をかけたルールのない真剣勝負とは、異質の物である。いつも紙一重で切り抜け今日あるのは、神の加護と礼徳の修行のおかげと心得ている。常に奇跡と言うものは、付いて回ると痛切に実感している。  世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年11月13日金曜日

モノをまたぐな!刀の鞘があたれば、斬りあいとなる。 武道の礼法 Do not step over the thing.

Do not step over the thing. When the sheath of the sword touched it, Samurai fought.
「モノをまたぐな!」刀の鞘があたれば、斬りあいとなった。拳法をやっているとやたらに足の指が器用になる。相手の道着も指で掴み投げようとする。若い頃などは、寝そべっているとついつい、足で新聞やモノを引き寄せていた。そんな私だが竹刀や刀は、またいだ事はない。また、しないの先革を床につけたこともない。プロレスや最近流行となった空手の映画のなかの稽古で竹刀でやたら人を叩いているの見て憤りを感じ軽蔑さえした。何故、このような事が平然と出来るのか?空手は、サムライの営為になったものだからと!納得せざるおえない。

 刀を魂とする武士、サムライは、竹刀をそのように使わないはずである。少なくても拳法会では、そのような事が絶対にないことを願う。

2009年11月12日木曜日

道場での「礼」  武道の礼儀作法 野中日文著から


野中日文著の「武道の礼儀作法」と言う本を山本敏雅先生から借りて読んでいる。とても、反省すべき点が多く発見され恥ずかしくなる。私などは、未熟なので剣道で「よい小手」が入ったと思うと若い時の癖で思わず「お小手は?」と言ってします。また、拳法でも審判に「妙にアピール」してしまう。学生選手時代の四段、五段時代からなんら進歩していないのに気ずかされました。 (若い!若い!)
 著書には、「勝ちは、譲れ!奪うな!」とあり、応えには、慎みをとある。相手が「参った」といったら「不十分でした」と応じよとある。相手の不十分な突き蹴りでも「頂戴いたしました」と応えよとある。未熟な私では、「なんとぉ~!まだまだ!」と言っているだろう。 また、師に昇段を薦められ「未熟ですからと断る」ことほど非礼なことは、ないと序している
  以下、2009年後期昇級審査の動画であるが受験者は、別とし見ているものの姿勢当初は、正座)が時間がたつにつれ崩れてきている1時間近く正座をするのは、現代では、無理とは、やはり、正しい姿勢で応援して貰いたいものである。あぐら座りにも品格と言うものを感じてこそ誠のサムライと言える。 最後に最も恥ずべき行為は、相手への「批判」の言動と言うことを忘れては、ならない。マスコミでは、批判や評論を言えるものを崇めている。全く愚かな話で「恥ずべき」事と自ら肝に銘じねばならない。 以下、動画!受験している者は、大変上手!観戦者は、最初は、正座をして見ているが・・・
  

 

2009年11月9日月曜日

2009後期静岡浜松地区の昇級審査

各地区で2009年後期の昇段昇級審査が行われています。ココでは、静岡県の浜松の昇級審査の申し込みと方向につきご紹介します。 出題傾向は、子どもには、難解ですが親との連携を目指しているように思えます。
                                                平成21年11月吉日
会員各位
                                               浜松地区拳法会本部
                                               本部長 大橋 正康

平成21年度 下半期浜松地区昇級審査のお知らせ
本年も、昇級審査の時期がやってきました。皆様、いかがお過ごしですか。
平成21年度 上半期昇級審査を拳法会規約審査要項に従い下記におきまして実施いたします。   申し込み用紙に必要事項を記入し作文・審査料を添え捺印の上、各地区の先生にお申し込みください。

                    記
日  時  平成21年11月28日(土) PM 7:00より
会  場  拳法会可美支部道場(可美総合センター)
所持品  筆記用具、道衣、タオル、レポート(作文)
審査内容  実技、筆記試験
申込期限  平成21年11月21日(土)可美支部練習終了時まで
      申込用紙に必要事項記入捺印の上、審査料を添えて提出してください。
      審査料 三級・四級・五級 3,500円 
      レポート(作文600字以上)は、審査当日点呼時に提出していただきます。
注意事項  ●健康の優れないものは、参加しないこと。
      ●当日、健康の優れないものは、各地区の先生に届け出ること。
      ●拳法会規約に基づき、審査における事故及び障害の責任は、一切負わない。
★レポート(作文)テーマ
5級拳士    拳法を始めて変わったこと、これからの目標。
4級拳士    拳法会の中で好きな稽古、嫌いな稽古、自分のこれからの拳法での目標。
3級拳士    拳法を続けてよかったこと、自分が将来やってみたいこと。

               切り取り線

浜松地区昇級審査申込書

所属   浜松地区拳法会        支部

氏名                    ㊞

生年月日         年   月   日生(  )才 学年     年

受験級位        級     帯のサイズ         号

現級・級位取得日



平成21年度 下半期昇級審査出題傾向
筆記試験 3級拳士
1.次の問題で正しい方を○で囲みなさい。                      
※ 下記の3文を覚えてきて下さい。
  ア、左 前右利足立ちの時、後ろの足は右足に重心 をかけ、前足は 
    左足を真っ直ぐにし、上体を後方に倒し、左 正拳にて下段払いをする。
  イ、拳法会拳法の礼法は、剣の理論からなり、古来の武術と同じ流れである。
  ウ、拳法会の修練で最も大切なことは、他人に勝つ事でなく我に勝つ事である。
2.次の問題で(   )の中に、当てはまる言葉を下記から選びなさい。           
※下記の5文を覚えてきて下さい
  ア、技の四大要素とは、力、早さ、機会、調子である。
  イ、拳法会拳法は、体育、知育、徳育の基本要素から成立する。
  ウ、拳法会の挨拶は押忍である。
  エ、順手とは、前の手で逆手とは、後ろの手である。
  ォ、三殺法とは、相手の拳を技を殺し気を殺すことである。
3.次の問題で関係のある文章を線で結びなさい。                 

  ア、内八字立ちは             ・構えである
  イ、残心とは                 ・勝利を得ても油断しない心
  ウ、慈愛と尊敬               ・後輩を侮らず、長上 を敬う
  エ、技をかけるチャンスのひとつ    ・技のつきたところである
  ォ、遠山の目付け             ・構えた時の目付けである
  カ、心の距離                ・間合いである
4.受け技を3つ書きなさい。                              
  正拳中段受け外腕刀、正拳中段受け内腕刀、正拳上段受け、手刀上段受け、掌底上段受け、・・・・・
5.蹴り技を3つ書きなさい。                               
  中段前蹴り、上段前蹴り、中段回し蹴り、上段回し蹴り・・・・など            
                   

2009年10月13日火曜日

「士は己を知る者の為に死す。」とは、サムライは、自分のことを認めてくれている人の為、命を投げ出す。Samurai abandons life for a person recognizing oneself and works.

Samurai abandons life for a person and a teacher recognizing oneself and works. Samurai does not become it unless We take good care of a person recognizing oneself.
 20年も前か?「命の満足感とは、なにか?」と亡くなられた太田敏氏に問われた。私は、つかさず「士は己を知る者の為に死す。」と答えた。 私の上司である太田さんは、父親のようなものであり人生の師でもあった。当然、太田さんは、私の事を認めてくれていた。「太田さんのために死ななければならないのか・・・・!」と思ったものである。しかし機会は、訪れず、わたしが52歳のときに太田さんは、肺がんで70歳で亡くなった。亡くなる3日前に、病院に呼ばれ「大橋君、わしの葬儀は、お前がやれ!」と言われた。私は、「男子の本懐です。」「心配御無用!安心して死んでください」と言ったものである。

「士は己を知る者の為に死し!女は己を悦(よろこ)ぶ者のために容(かたち)つくる!今、智伯は我を知る」は、司馬遷の史記の言葉である。

 自分を認め、可愛がって育ててくれた人の為には、命を賭けてこそ「男、サムライ」であると言える。まして、おろそかな行為をすれば、己の恥を天下にさらすようなものだと戒めている。
そして、「女は己を悦(よろこ)ぶ者のために容(かたち)つくる!」も含蓄のある言葉である。
                                     世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年10月12日月曜日

ルールに」ついて:「日本のサッカーは、武道ですよ」と長沼健さんは、話した。

ルールに」ついて:「日本のサッカーは、武道ですよ」と長沼健さんは、話した。
 日本サッカー協会の名誉会長と勤めた長沼健さんと以前、愛媛県の新居浜市でお会いしたときに武士道につき話し合ったことがある。そのとき、長沼さんは、「日本のサッカーは、武道ですよ。例えば、100点相手に取られていても反則しようとも思いませんし、また、しません。ピッチで唾を吐いたり、相手の反則をアピールすることを恥としていました。」と話された。私は、なるほど「武道においてルールの戒めは、己の中にあり」と痛感した。拳法会の試合の中で審判が選手に「場外反則、注意1回」と宣告したとき、選手は、頭を下げて己の未熟さを恥じる。
 仮に反則をしていなくても「そのように見られた」という行為を恥じる。審判の反則行為が出る状況を作ったことを恥としている。その前に「やめ」「わかれ」の宣告がなぜ、出せなかったのかと悩むのが武道の審判である。「自得は、畢竟己にあり(全て自らに起こるは、結局は、己から起こる)」である。
 昨日、孫の保育園の運動会に行ってきました。父母、おじいちゃんとおばあちゃんは、幼児たちと玉入れの競技に参加しました。おじいちゃんとおばあちゃんは、外側に書かれた円から幼児は、円の中からとルールが説明され、玉入れが開始されました。ところが、父母、おじいちゃんとおばあちゃんは、熱が入ってきたのと少し円が遠くて玉がうまく入らないこともあり、ついつい越境してしまいました。
 こんなとき、もし、あなたが審判なら、どうしますか?
 ルールの通り無効試合にしますか? 
 保育園の審判の先生は、「熱が入り越境したことを告げて二回戦を続けました。」

 そして、玉を入れるだけでなく三回戦は、片付けゲームでした。
 楽しく終わりました。以前、同じようなことがあり、このときは、「無効ゲーム」となり!
  審判である前に人でなくてはなりません。
 大変いやな思いを参加者は、したそうです。
 その決定をしたのは、サッカーで、地方で活躍した元選手で「サッカーは、ルールは、絶対!」ということだったそうです。
 さて、武道(武士道)としては、この保育園の先生の審判あり方が武道の本質のでは、ないだろうかと感じました。日本語の『試合の語源は、奈良時代にあり゛為合(しあわせ)』にあります。
 しあわせの為なら「玉が入った!勝った負けた!などどうでもよい事なのです。」
「ルールは、己の中にあり」「闘っている。自分か最もわかっている!」 それと「ルール自体が出来た時点で公平性は、喪失した。」と思います。
 長沼さんもこの事を良く理解し  :「日本のサッカーは、武道です」  と話されたと思います。
                                         世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年9月30日水曜日

会津の商人道は、武士道から生まれた。"Syounindo" came out of "Bushido". .


"Syounindo" came out of "Bushido". Syounindo is the philosophy of the merchant.
「士魂商才・真、善、美」の「商人道」は、武士道から生まれた。武士道の殿堂の稽古堂では、士農工商の区別なく志あるものに学問を教えていた。これが会津武士道を確立した「日新館」である。北京の55日の柴五郎、中野竹子など、みなこの会津武士道により育てられた。ここで学んで確立された商人道も「ならぬことは、なりませぬ」の節度と礼徳を尊んだ哲学は、ここから生まれた。

会津武士道 「ならぬ事は、なりません」


義を貫いた会津の武士たち!大変な苦難が待ち受けていた。会津武士は、官軍から汚名をきせられ残虐な目にあってきたが力つよく蘇りわが国の名誉を武士道をもって支えてきた。「北京の55日」の柴五郎中佐も会津出身である。また、中野竹子も会津である。
 「ならぬ事は、なりません=しては、ならない事は、してはいけない」 日々の生活の中、ややもすると私利私欲に走り、ごまかしても儲けようなど平然と思う人間や主君を裏切ったり人を傷つけてもあたり前のように思う人間には、そばに来るな何処かへ行けと言いたくなるものである。「義のために死を省みないものほど美しいものは、ない」とここでも記してある。

2009年9月27日日曜日

学校教育の武道必修化・アンケート調査のお願い。

学校教育の武道必修化・アンケート調査のお願い。あなたは、平成24年に完全実施される「武道必修化」をどのように考えますか?   アンケートは、こちら!!

2009年9月20日日曜日

国際武道大学で学んでいるネパールのブベンドラ選手!教育とプライドが大切!


国際武道大学の別科へ留学中のブペンドラ選手が夏休み中に拳法会で稽古し昨日、最後の稽古をしました。毎日の厳しい稽古で体が動かないと言って休んだのは、1日だけでした。当初1日休んだのですがペルーのミゲル選手に「ネパール人は、根性がない」と言われ更に燃え上がり頑張りぬきました。また、環境カウンセラーの研修会などにも積極的に参加し勉強しました。彼は、
1.どの国でも最も大切な物は、「教育」 Education is the most important in any kind of world country.
2.誇り(プライド)が人間を成長させる。国際武道大学の別科にいることが至福の誇り!拳法会の一員であることが誇り!The pride brings up people, and it is thorny power to get over. I am proud that it is being the student of international Budo University and a member of strongest Kenpo Kai.
3.利を得ることを三番目とする。利に魂は、左右されない。I assume that I profit the third position. The soul is not controlled to profit.
4.知識は、行動、経験の力の半分にも及ばない。The knowledge is inferior to 50% of the power of an action and the experience.
 彼は、ネパール人であること国際武道大学の別科生であること拳法会の会員であることにこの上ない誇りをもっている。誇りなき者には、未来がないと言い切った。
 私達も日本人であること、拳法会のメンバーであることを思い起こさねばならない。

2009年9月15日火曜日

世界にまた、新しい家族が誕生!おめでとう!EU・Juan本部長!

Ninkajyo

Association of world JiJi Do recognizes Juan M. Vidal as genuine JiJi.                  September 15, 2009.
                       Association of world JiJi Do.
                       Kaicyo Chiaki Ohashi (5 dan)

2009年9月10日木曜日

海上自衛隊の特殊部隊での死亡事故! 「武道必修化」の課題:指導員!!


文部科学省の「武道必修化」と今回の、この報道を考えてみたいと思います。  
 自衛隊員の徒手格闘術(日本拳法)での養成過程で入れ替わりで16人を相手に稽古中に死亡したことを知ったときに「武道必修化」に伴い同じ事が起きないかと心配しました。
 私たち毎日稽古している者(子どもたちも)にとっては、30分くらいの打ち込み稽古は、日常茶飯事に行っていることは、前回Blogで書きました。また、指導員に問題があることも述べました。
 今回の指導員は、剣道初段で少林寺拳法初段と記事にありましたが私は、段位では、ないと思います。わたしは、大学時代剣道四段、拳法五段でしたが大学時代の私のほうが未熟な指導者で危険な指導者であったと考えています。もちろん経験は、大切ですが大切なことは、「節度と分別ある心をもった指導員」である事です。私は、決して強い選手では、ありませんでした。19歳や20歳で剣道四段などと言うと「人格が優れ、強い」と思われがちですが全くの思い違いで試合では、負けてばかりでした。フランスのNiceで九段範師を授与されましたが二日まえの稽古で「小外刈り」を失敗し左足首を痛め夜は、眠れないほどでした。そのわたしが生徒がケガをすると「集中していないからだ!根性がない!」と叱咤するわけです。ここまでは、許されるとしこれ以上のことがあっては、いけないわけです。この分別は、徒手格闘術の稽古をたくさん積んだから段位が上だからと言うものではなく「心の修練を積んだ者」が指導者と言えると思います。「初心者指導員」と言うべきものです。私の推測では、上段への打撃のあと転倒し頭部を打ったのが原因では?(全く知らないのであくまで推測)と思います。順番に多くの選手に掛からせる「掛かり稽古」は、決して悪いものではなく指導者のちょっとした気配りかと思います。日本拳法も決して危険なものでなく「掛かり稽古」も危険なものでないことを理解していただきたいと思います。
 この様に武道必修化のなかでも「剣道をするものが武道をするとは言わない!武道は、異質のものである」と述べられた新田一郎先生(東京大学教授)の言葉を深く考えてみる必要があると思います。
                                  世界拳法会連盟会長 大橋千秋
PS:拳法会は、日本拳法とは、異なります。

2009年8月13日木曜日

「観戦者の目」 写真家・川嶋正芳氏から

「 目は、その人をよく表現すると言う」 寝技世界最強の男と言われた1981世界柔道チャンピオン柏崎克彦(国際武道大教授)も「技と言う言葉は、昔は、なかった!表現と言っていた。己の表現こそが素晴らしいことなのである。素晴らしい表現をしよう!」  
 写真家川嶋正芳氏も亦、選手はもちろん応援をする子供たちの「目」と「表現」を撮り続けている。第33回拳法選手権大会は、この「眼」、「表現」がいささか「曇ってきた」と指摘をカメラのレンズを通して証拠を突きつけられた。
 ほんとうにうれしい指摘であり!この突きつけられた証拠写真には、心に深く刺さる物があった。

 この表現を公表した結果、他のスポーツや武道の大会の写真も送られてきた。観戦する子供たちが、正座をしている写真は、他のスポーツでは、見つけることが出来なかった。また、このような選手に魂をあたえる目をしている子供たちも見つけられなかった! 拳法会の大会では、負けて途中で帰る選手や父兄は、皆無である。決勝戦を応援し表彰式に拍手で贈る!最後は、全員で清掃をしてから帰る。花井和夫大会会長も進んで手伝う!

 国士舘大学の柔道を教える中島 豸木教授は、「選手は、負けると途中でも帰ってしまう。表彰式には、関係者しかいない。会場は、ゴミだらけ!ゴミを持ち帰ろうと呼びかけると最寄の地下鉄のゴミ箱は、ゴミであふれる。まして、正座をし応援する子供も!率先し残って会場を掃除する子供もいない。」「柔道ルネッサンスとは、なにか!どうすれば、よいのか?」と拳法会の姿を見て問いかけている。
 先ずは、私達、拳法会は。「格技」とし「格式ある表現」につとめこの姿を見た人たちに影響を与えられるように成長することが責務である。中島教授は、このBlogを一人でも多くの人が読むことを望んでいる。

2009年8月7日金曜日

第2回全国視覚障害者学生柔道の支援 8/8浜北グリーンアリーナ

実行委員会事務局です。以下のような流れになると思いますのでご協力をお願いします。 
        中村昇先生 10:30 神取忍先生出迎え 
8/8(土)   (10:00~12:00 近隣小中学校合同練習・・・・一瀬先生)

           終了後
  拳法会や合気道、なぎなた、剣道関係者は、10:30集合

     12:00~13:00 障害者武道講習会 (講師 松井完太郎教授) プロジェクター等準備 大橋正康が松井先生、一瀬先生と打合せ。冨田先生宜しく!

     13:00~13:30 神取忍先生(柔道&女子プロレス)、中島豸木教授(柔道)、高橋一郎先生(合気道)、大橋千秋(拳法)、大橋正康(拳法)大橋忠幸(拳法)、良知大悟(剣道)、福沢(名城大剣道OB)で小学生(柔道、拳法、合気道)の子ども達と異種武道で遊ぶ。 例えば、中島先生は、投げられ役、大橋は、殴られ、蹴られ役で交流する。

     13:30ジャストにおわり陣太鼓の設置手伝いを皆でする。(伊藤千明さん応援宜しく!長田さんは、障害者の見学者の面倒宜しく)
      柔道、拳法、合気道などの子ども達30名は、選手と入場するため所定の位置につく・・・・・一瀬先生、小林さん、中島先生、大橋、冨田外で並ばせて待たせる。子ども達は、道着

     13:40 陣太鼓開始・・・・・・鈴木英忠指揮(太鼓の子ども達にお菓子の準備を忘れぬように!) 写真撮影は、川嶋正芳氏

         (選手入場  子ども達も一緒)
     14:00 開会式
     14:15 開会式終了  ・・・・・・開始まで太鼓 鈴木英忠指揮
     14:20 開 始     ・・・・・・・太鼓かたずけ 鈴木英忠指揮(大橋、伊藤さん、芝田さん、拳法会と柔道応援)

                 大会・・・・一瀬先生指揮
     15:40 試合終了・・・・表彰式準備  賞状作成、トロフィー作成(表彰式応援者普段着でOK)

           邪魔にならない場所でサイン会(神取忍先生、溝口先生) 写真撮影もお願いします。・・・・川嶋正芳氏(写真家)  会場へ楽しい音楽・・・・・小林さん手配

     16:20  閉会式
             選手と子ども達入場  ・・・・・音楽・小林さん
           表彰式 ・・・・音楽・小林さん
     16:45  閉会宣言 
            全員でかたずけ!掃除をキチンとしましょう!
     17:00 ジャスト終了

*12:30から受付が始まります。花井さん塩谷大臣、市長、副市長など来賓の案内宜しくお願いします。

PS:弁当、飲み物は、各自持参!! 当日、手落ちがあっても協力して克服しましょう!!
                                      大橋
**********************東京都世田谷区世田谷4-28-1国士舘大学武道徳育研究所内 社団法人障害者武道協会   大 橋 千 秋 浜松連絡先 電話053-439-0909 URL: http://www1.bbweb-arena.com/righttec/budo.htm   Blog: http://blog.goo.ne.jp/budo-s

2009年8月6日木曜日

礼徳が失われつつある! カメラから日本の心をみる! 写真家 川嶋正芳

                    正座で観戦する子供たち!
写真家の川嶋正芳氏は、長年にわたり拳法会の写真を撮り続けています。その視点から、ひとつの「思い」が寄せられました。 「最近、子供たちの観戦の姿勢が乱れてきました。」との指摘である。選手の礼節は、もちろんですが「正座をして応援する子供たちの姿勢に武道の”礼徳”を感じる」と川嶋正芳氏は、指摘しています。

 そこで礼徳が、失われつつある原因は、何かを考えました。

●九割(90%)は、私たち指導員の教育不足にあります。十分反省すべきであり是正をします。

●残りの一割(10%)は、家庭教育(第一の教育の場)であり学校教育(第二の教育の場)に問題があります。学校の部活動教育にも問題があります。

 現場の教師または、家庭でも「正座」をさせて話をすることは、めったにありません。部活動教育においても、得点を入れたりポイントをとれば、「ガッツポーズ」や歓声を挙げることに、違和感を感じていません。これが、あたり前と思い疑問を感じる教師は、いません。グランドに唾を吐いても何も感じない現状です。 K-1や空手などの試合をテレビでみてあたり前と思ってしまっています。これらに影響されない事が大切です。子ども達は、椅子に座っていたり、立って見ることのほうが楽ですが、これらに影響されるべきではないと考えます。川嶋氏の写真家としてのカメラを通しての、この様な指摘は、日本の教育の根源を問われているような気がします。
 そこで、拳法会の武徳教育の理念を徹底させる為には、

1.指導者は、再度、身を引き締めて礼徳教育を徹底する。

2.学校、部活動教育の是正を提唱する。

3.大会運営を拳法会のみで行い。先ずは、純粋に拳法会選手で育成を計る。他団体のように連合的な容易な運営は、せずに、影響を受けたり、妥協を必要としない環境を作る。
  と言うことになります。この3点は、非常に重要と考えます。また、私たちが見本になることこそが大切と考えます。

2009年8月1日土曜日

しょうがい者と言う言葉をなくしたい!松井完太郎(国際武道大教授)


しょうがい者と言う言葉をなくしたい!しょうがい者の自立支援に武道を役立てたい。そんな時に社団法人障害者武道協会が誕生した。 そもそもの始まりは、松井完太郎先生(交際武道大学 体育学部 国際スポーツ文化学科 教授)の障害者武道講習会をお手伝いするところからスタートした。 先生のお話を聞くうちに少しずつ分らないながらも障害者武道の域に入っていったのである。何事も1歩、矛をもって踏み込むことが大切だと実感した。「武」の文字の由来は、「矛をもって1歩踏み出す」と意味するのだそうである。

拳法会の訓え 「求道即道なり」 


「孔子は十五歳ほどの年少で 学問の道に志を立てたところが聖人なのである。 いろいろと修行を積むことによって 聖人になられたのではない。」と「葉隠れ武士道」では、述べている。これは、「求道即道なり」という拳法会の訓えでもある。即座によきことは実践し求めようという心こそ大切なのである。
 打算的武士道と言う言葉がある。「利」があるのは、なにかと計算高いことである。現代の多くの者は、西洋の利益第一主義にかぶれ自らの歩むべき道を避け、楽な道や浮いた世間に流され多くの行為に「義」というものがない。

 あれこれ、迷っていても、前の敵を斬ることは出来ない。無心での一太刀が道をひらく。

師について「朝倉邦夫、師は、年長者とは、かぎらない」


三国志においても軍師、諸葛孔明は、その年齢を問わず師と仰がれていた。朝倉邦夫は、大橋千秋、浅井隆夫と同年代であるが投げ技、絞め関節技は、大橋に朝倉は、高校生時代の三年間、日曜日の稽古の後、柔道場で指導している。朝倉は、大橋のことを「桃太郎!桃太郎!」と呼んで兄弟以上の仲であり寒稽古、暑中稽古も常に一緒であった。雑誌の中に当時の活躍の一部が載っていたので紹介する。
朝倉邦夫は、現在の全日本拳法会本部長の浅井隆夫に対しても厳しく、弱音を吐くことを強く戒めていた。浅井隆夫が弱音を吐くと厳しいまなざしで睨みつけていた。

2009年7月12日日曜日

榊原清司にも同じ夢を見させてやりたい!「セイジもいつも一緒だ!」

                      この日も京都に向かう新幹線のなかで「セイジもいつも一緒だ!」「俺達は、オーストラリアで共にすごした、あの日のままだ」と言うのは、中島豸木教授(国士舘大学・柔道)である。中島豸木、大橋千秋(拳法会・剣道)、故榊原清司(拳法会・柔道)は、オーストラリアTas警察士官学校で共に武道をとおし将来の夢を見ていた。
 ●武道を通して子供たちの世界の架け橋になろう!
 ●日本の心や文化を子供たちや世界に継承しよう!

 真剣に考えていた。 しかし、榊原は、 四十七歳で志なかばで、なくなった。 今回も中島、大橋は、障害者の自立支援の役に立とうと社団法人障害者武道協会設立のために奔走した。大阪の村井正直顧問にご挨拶に行く車中!中島豸木教授は、「セイジも、いつも一緒だよな!」とぼっりと言った。
 その通りである。今では、正統にその心を継承したものが、世界の大陸で活躍し全世界へ和を広げている。黙々と稽古に励み世界の平和のために尽力している。すべての弊害を乗り越えて! 村井先生の「今あることは、本当に真理なのか?わからない!真実とは、時を隔て突然に現れるものだ!」これが、この日の訓えであった。

2009年7月4日土曜日

師とは:「みんな自分を未熟と思っているから!書の線が細い!」


武道家、拳法家とよく言う。「家」とは、一子相伝の武道の世界において「師」が父であり母である。家系的な構図から伝承されてきたことにある。

 昨日、大阪で社会福祉法人わらしべ会の創始者で柔道家(武道家)である村井正直先生に高名な柔道家の先生の書がなぜ線が細いか?と中島豸木教授がたずねた。先生は、即座に


 「みんな自分を未熟と思っているから!みんな死ぬときまで未熟だ!未熟だ!と言っていた。だから、自ずと線が細くなる」とお答えになった。


 私は、先生に、「私は、柔道家では、ないが今度、一緒に稽古お願いします。」とお願いしたら「やりましょう!やりましょう!」と言われた。「まだまた、学んで足らずの」精神が迸っていた。ちなみに村井先生のお父上は、嘉納治五郎先生の師事をうけ高名な柔道家でヨーロッパに柔道を広めた先生方(道上伯など)の師にあたるとの話も聞いた。 師の訓えは、垣根を越え継承されていくものだと痛切に感じた。

 村井先生は、こんなことも言われた。大橋先生も、中島先生も「変(片)な人だ!変な人は、現在は、受け入れられないものである」そして、「今すぐに受け入れられるものは、表面だけが受け入れやすいもので本物ではない」!真理とか本物とか言う物は、時間を経過してからわかる物である」と言われた。  (社)障害者武道協会の顧問をお引き受けいただいたお礼に参上しこの上ない師事を受け、感謝の念に耐えない。    世界拳法会連盟 会長大橋千秋





世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年6月30日火曜日

師とは! 人生の「道をしめし!みちびく!」大切な役目をもつ人物を師と拳法会では云う。


拳法会では、師について 人生の「道をしめし!みちびく!」じゅような人物を師と称している。単に武術の技や学問を教えるものを「師範」とは、言わない。子どもたちの模範となり「未来を少しでも明るいものに出来るもの、夢を与えることの出来るもの」を師としている。昨今は、自己主義のために子どもの未来を奪うような輩も師と呼ばれている。 そもそも、武士道においては、次のような行動の例がある。  


 子どもがヤクザの子どもを殴ってケガをさせた。親のヤクザが談判に来たとき、父親は、つかさず殴りかかり留置所に入れられた。留置所にたずねて来た子どもに「お前が人のものを盗めば、俺も盗む!お前が殴ってケガをさせれば、俺も殴る。常にお前と共にいる」と・・・・含蓄のある訓えである。

 このように道をしめすのが師であり、模範となるのが師範である。 大橋千秋にも「心の師」がいた。太田敏である! 師というより父親といっても過言でない。もともと軍人志望であった太田敏は、血気盛んな大橋に「中庸」を常に態度で示した。 やたら攻めまくれば、粗暴であり!躊躇しすぎ下がってばかりでは、臆病者である。 全ての善は、その中間である「中庸」だと説いていた。

  また、「師、持たざる者は、信ならず」とも言い。多くの人の声に耳を傾けろとの教えでもあり、「道を示す師がいない人物は、道を誤る可能性が大きい」ので注意が必要との教えでもあった。

拳法会の理(ことわり)は、剣にあり!


拳法会の理(ことわり)は、剣の理であることは、以前にもお話した。空手系と思われがちだが宗家・大橋千秋の師に空手の師は、いない。大橋の同輩である三重県県道連盟理事の剣道教士七段の片岡直博も「拳法会の理(ことわり)は、剣の理である」ことを肯定している。「押忍」の挨拶から全てが若き日に学んだ伝統を継承している。打撃、関節技を中野師範に学び、長嶺耕史先生(師であり先輩でもある)により初めて剣道の手ほどきを受け、海外で他の武術影響をうけ秘かに「真の武道の継承」をしているのが拳法会である。
 合気道の塩田剛三と大橋千秋が若き日に語らう中で共通するものを感じたのは、ここにちがいない。合気道、鳴鶴会副会長の高橋一郎先生が「合気の理は、剣である」と言った言葉にもうなずける。

2009年6月20日土曜日

拳法会の心の三悪とは、「迷い、恐れ、侮り」! 「裏切り」は、「不満」から!不満は、三悪から!

拳法会の心の三悪とは、「迷い、恐れ、侮り(あなごり)」である。「迷う事なかれ!恐れることなかれ!侮ることなかれ!」常にこの教えを唱え稽古しなければ、「万水映月(全ての水は、そのままの月を映す)」の心を保つことができない。八正道の正見、正思しないと正しい動きは、出来ないものである。無心でなくては、打ち込むときに迷いが生まれ「清らかに打ち込む」事ができない。
 人生においても同じで「心の三悪」で「不安」という「心が勝手に産み出した幻」に恐れていては、自暴自棄になるばかりである。これを抜け出す手段を、「欲望・富」と錯覚する。「利」を求めてしまうと、ますます空腹には、耐えられなくなる。そして、心の肥満により様々な病が体の中に住みつき吹き出物のように腫上り、醜くなる。これが「不満」である。醜くなると周りの人が距離をおくのは、あたりまえである!「忠告や教えを請えなく」なり、距離が離れると更に腫上り、醜くなる。それに耐え切れず「裏切り」で己を楽にしようとする。 これが、「師を失い、友をなくす」 自らの成せる心の病の元凶である。 心の三悪に打ち勝つ修錬がこそが大切である。
                    世界拳法会連盟会長 大橋千秋

2009年6月14日日曜日

「幼年部の教育」 拳法会方式 幼児の拳法会教育は、大切!

幼児の拳法会教育方式の要点は、5つある。 
 まず、背景は、拳法会に入会する幼児は、三歳ぐらいから入会してくる。稽古時間は、集中力から考え30分間から60分としている。拳法会では、入会の三歳から目的が達成される7歳を幼児とし一貫した教育とする。

1.黙想、基本の呼吸法を徹底し幼児の安定した心を養成する。
2.楽しく体を動かすことで「幼児の潜在能力」を出来るだけ多く引き出す。
        =自由に稽古させ形にはめ込まない。(人は、潜在能力を生涯で2%しか使わない)
3.幼児は、「転がり、飛び跳ねる」ことが楽しい。・・・出来るようになることを教える。
4.幼児は、「戦って勝つ」ことが楽しい。・・・勝つ事で「誇り、誇る」ものを与える。
5.幼児は、「幼稚」ではない。 技を考えさせることで「知恵」は、勝つ「根源」であることを「体験」させる。(パートナーがいて技が完成することを知る)

 1から3は、五歳までに修得させ安定した心を養い!七歳までに人生の心と体の基盤を育成したいと考えています。
  拳法会は、少子化防止と青少年健全育成のため「幼稚園の無料化と武道の必修化」を進めます。
        社団法人障害者武道協会

2009年6月13日土曜日

段位の歴史 准段は、拳法会独自の段位!何故生まれたか?

          「段位の歴史」     世界拳法会連盟会長 大橋千秋
段位制度は、大橋宗桂(Ohashi Sokei)1555年(弘治元年) - 1634年4月6日(寛永11年3月9日)により考案されたことは、以前、お話しいたしました。さて、拳法会には、准段(1級と初段の中間)があります。准段は、海外で誕生しました。昭和40年代、50年代に私は、海外で武道の普及を勤めていました。当時は、良質の黒帯で刺繍を入れた物は、日本より取り寄せていました。そこで生徒に「意欲」を持たせることと「経済的」な配慮から黒帯に白い線を1本入れた物を「准段」の帯として准段を制定しました。もうひとつの理由がありました。それは、例として、オーストラリアやニュージーランドの外国の指導者は、いくら優れていても「初段」程度の段位保有者しかいませんでした。当時、柔道では、中島豸木教授(現国士舘大学教授)が五段、私が拳法五段、剣道四段で空手では、ブリスベンにいた辻民夫先生が五段であったと記憶しています。現地のオーストラリア人の先生は、初段でした。従って先生が初段なので先生の1段下の黒帯「准段」が必要となったわけです。(従って、准段は、白い線の入った黒帯だっのです。日本では、茶帯ですが!)どうして日本が茶帯かといいますとわたしが日本に帰国し子供たちの励みのために世界で導入していたカラフルの帯(韓国で製造)と級制度を更に普及しました。現在、フルコン空手で使用されている防具も小手も、元は?と言えば価格を抑えるため昭和40年の初めに韓国の友人に頼みデザイン、製造をし導入して採用していました。その防具の採用で小・中学生のレベルが向上し日本でも1級と初段の間の段位が必要となったわけです。それが准段です。当時は、准段は、中学生を対象としたものだったのです。 また、黒帯に線が入っているのを雑誌などで見たアメリカ、ヨーロッパ、オセアニアの外人の空手や武道の先生は、「ファッション性」と俺は、「五段とか十段!」だと誇示することを目的とし線が黒帯にたくさん入るようになったわけです。
 しかし、拳法会では、初段より1本入れば、1歩手前の段位だったわけです。
「准段」の段位ひとつにしても歴史があるわけです。

2009年6月10日水曜日

「不安」とは、己自身の心が作り出す「幻(まぼろし)」 拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず。

私は、「拳は、心也!心正からざれば、亦、その拳も正からず」とよく言う。確かこれは、戦国時代の剣聖であり新陰流の祖で「剣は、心なり・・・・」と唱え「無刀とり」、活人剣の、上泉伊勢守信綱の訓えであったと記憶している。 正しい事を判断する心は、多くのものに影響され見えなくなり道をはずれ迷い込んでしまう。そして、「抑圧」され「不安」という幻に怯えてします。そして、その幻から逃げようとする。 子ども達も同じである。心の片隅にある不安が己自身を抑圧し「殻」にこもり「逃避」や「欝」の世界に入り同じ仲間で慰めあってしまう。 それを救う手立ての一つには、「師」である。 その師が不安を打ち砕く「誇り=誇ること」を持たせてくれる。「誇り」は、様々であるが「地上回転」や「逆立」であったりする。幾つになってもこの様にあたえてくれる師を持たない者は、悲しい!「師なき者は、信ならず」とも言われ「心底、人に信用を得られない」のである。 立派な人物は、相談すべき師が常いるものだ。
  「不安とは、己の心がつくりだす幻(まぼろし)」 この幻を打ち砕くのが「誇り=誇れるもの」
                                 世界拳法会連盟 会長 大橋千秋

2009年6月8日月曜日

「自得は、畢竟己にあり」H.21年度青少年健全育成会議総会・講演から!


    「幼稚園児」は、差別用語!この時期が人生の基本、「親は、子供により成長し大人になる」
H.21年度静岡県青少年健全育成会議総会の講演で、はやし浩司氏が講演した。要点は、
1.0~2歳は、基本的信頼関係の構築期・・・親に絶対的な受け入れがあって心が開ける関係が出来る。(ウンチをテーブルの上でしようが笑って受け止めてやる)
2.2~4歳 自立性の構築の時期
3.4~5歳 優位性を伸ばす時期
  親の権威を前に出すとよい子ほど「抑圧」を感じる。それが、成長すると突然に「うつ病」や「引きこもり」になる。
 離別体験が「うつ病」の源となると言われている(39%)。もっと悪いのは、夫婦の騒動が更に子どもに影響を与える。
 親が子どもを育てると考えるのは、まちがい!「子どもが親を成長させる」。 幼稚園から小学校そして中学校へと進むなかで挨拶も出来ない親が立派に挨拶が出来て子どもの見本となる。考え方も自分中心でなく他(子ども)中心の考えが出来るようになる。
 問題を起こす子が問題でなく親に問題がある。「子どもは、家族の代表である」

世界拳法会連盟会長大橋千秋: 私は、若き日に講師の林さんとは、オーストラリアにつき話し合ったことがある。林さんの夢は、お子さんを豪の大学に留学させる事と聞いていた。 そのお子さんは、豪から「うつ病」で突然帰国した。「家庭内暴力」や「引きこもり」で大変苦労したと聞いている。この壮絶な体験があってこそ真の子育て論を確立したと思う。
   

2009年5月26日火曜日

日本人なら「武士道」の訓え! 武士道と実業道

西洋哲学のソクラテスや功利主義もいいけれど日本人は、やっぱり「武士道」ですね。葉隠れにある恋愛「恋の至極は、忍恋と見立て候」など、なんともいえない深さと究極の恋愛の実感がうかがえる。「好きだと告白すると、半減する!忍んだ恋は、心の中で燃えつづける」なるほど!!その深みを経営に活かしている人物としリンナイの内藤進(明人)さんがいることは、以前紹介した。功利主義に走らず「義」をもって決断し「品質こそわが命」を貫いている。 名刺交換のとき内藤氏は、「ガス器具屋の内藤と言います!」と名刺を差し出す。「品質、技術こそ武士の魂」といっている。労使のハザマで悩み血を吐いたと言っていた。命をかけ真剣に取り組み我が命より重たいものを持ってこそサムライと言えるのだろう。             世界拳法会連盟 会長大橋千秋

 追伸:6月24日偶然にも名古屋駅のパン屋でお昼のパンを買っている内藤さんに会った。内藤さんが「やぁ!」と言って手を上げた。「プレジデントの武士道の記事見ましたよ!あれは、私の十八番ですよ!」と言ったところ「そうだね!」と微笑んでいた。 ここでも先哲の師にあった。  
 「兵法の理を諸芸諸能の道となせば、万事において我に師匠なし」宮本武蔵の言葉である。これは、「師は、不要ということではない。森羅万象全ての事が我が師と言うことである」

2009年5月16日土曜日

祖先を敬う心  ネパールから武道留学のBhupendra選手!




ネパール拳法会のブペンドラ選手が我が家に宿泊した。彼は、部屋に入るなり深々と頭を下げ仏壇に礼拝した。その様子を見た妻が「祖先や先哲の師を敬う心がある。Bhupendraさんは、必ずや国のためになる人になりますね」と語った。もう30年近く前だろうか?同じ思いをしたことがある。この人物も部屋に入るなり仏壇に深々と礼拝した。彼は、現在、国士舘大学の武徳研究所所長の中島豸木教授である。

 余談だが国際武道大学へ留学中のブベンドラ選手に今月、女の子が生まれた。また、良き家族が増えた。心から「おめでとう」

2009年5月1日金曜日

山本五十六の訓え! 忍耐がなくなった若者たち!


帝国海軍司令長官山本五十六 「武を磨くは、一重に平和を保つ為にある」と言ったという。勝つために訓練しているのではないと言うことである。 修行に耐えるのは、我がためにあらず、人の為、国の為、人類の為!」と言わんばかりである。

2009年4月5日日曜日

試合場におけるSamurai・武士道の心得!

東北拳法会のコメントから「サムライジャパンという以上は、ガムをかんだりグラウンドに唾をかくのは、!」 WBC世界野球選手権についての秘話を、テレビ番組スパー・サターデーで高代延博コーチーの話を聞きました。 韓国は、グランドに韓国の国旗を建てたことについて、思うところがそれぞれあったが「我々は、旗を立てずサラッとしよう」と述べました。これは、ソウルオリンピックで金メダルを獲得しガッツポーズをしなかったさ斉藤仁選手とその後、国士舘大学の監督となり中・高・大がトリプルで全日本を制覇したときの祝賀会の言葉「私たちは、礼を尊びガッツポーズをせずに黙々と稽古し!黙々と勝つ」と挨拶しました。2008アジア国際拳法選手権大会を終えカトマンズから帰国の機中の読売新聞の記事に中島 豸木(国士舘大教授)が書いたものが載っていた。これは、東京オリンピック柔道無差別級でアントン・ヘーシンク選手が神永選手を押さえ込み勝利目前のところへ感極まった外国応援団が会場に乱入しようとしたとき「待て」と言って止めている記事であった。ヘーシンクは、勝利した後、相手に礼を尽くし神聖な道場に礼をした。この光景を目にした中島 豸木は、日本人のあるべき行動・姿勢を考え直したと言っている。高代延博コーチーは、イチロー選手の優れている点は、「走塁」と言っていたが「早くグラウンドに行き稽古する姿勢、道具を大切にする姿勢」だと思う。サムライは、「刀を武士の魂」としたのと同じことである。勝利したときの態度にもサムライらしさが出ておりガムをかんでいた選手や唾を吐いた選手は、別としてサムライらしきところは、あったと信じるがやはりアメリカ流やウェスタン流が当たり前と思っているところがあるなら反省すべきである。 「打って反省!打たれて感謝」武道家としよく言われる言葉である。

2009年4月3日金曜日

敵国外患無き者は、恒に国亡ぶ。 孟子


敵国外患無き者は、恒に国亡ぶ。 4月1日東京で小川武郎先生にお会いしたときの言葉である。氏は、世界に「武徳学院」を建設し「武徳」の普及を夢にしている。
 「敵国もなく、外国との争いから逃げてばかりでは、国民から警戒心がなくなり、護国の心をうしない油断がうまれ、国が遂に滅亡する」という孟子の言葉を印にし常に押して書面を作ると言われた。
「治にあつて乱を忘れず」の訓えを忘れてはいけない。平和を保つ心は、大切である。

2009年3月27日金曜日

「米や野菜がダメ!特殊なもので儲けている百姓もいるぞ!」そう思ったらドラマ「イサン」を見るべし!


18世紀後半、朝鮮朝第22代王、正祖イサン! 500年の王朝史で一番開かれた考えを持ち一番民主的な方法で国民を慈しんだ賢君が部下と共に庶民の暮らしを見る為視察に出た。農村で煙が上がり何かを燃やしている光景を見て農民と村の役人に尋ねた。「何をもやしているのだ?」 

農民は、「清国から安く品質の良い綿が入り、朝鮮の綿が売れないので燃やしている!」 そして役人は、「綿をやめ違う仕事を進めている」  

これを聞いた王は、官僚と村の役人に指示する「直ちに国で綿お買い上げ!朝鮮の綿の技術と品質を高めよ!」この話を「繊維」の商いをしている人と「計測器を」売っている人、議員に食堂で話した。 みな感動した。  

「米や野菜がダメ!特殊なもので儲けている百姓もいるぞ!」「建設業がダメ!百姓や林業をやればよい!」「製造業の職場がないなら介護の仕事をやれ!」 少なくとも、武士道を極めようとするものが「損得小利」の走るようでは、いけない。 神から天職であり!周りに起こる事は、天命である!立ち向かうべし!立ち向かうように導くべし!

「女性と武道」北上市から岩手県の矢巾道場に稽古!


北上市から岩手県の矢巾拳法会へ通って稽古! まだ、岩手は、寒いと思う。日本文化、日本人の精神である武士道を学ぶことにより心を時代へ継承する事は、とても大切です。会津武士道を貫いた女性中野竹子は江戸詰め勘定役中野平内の娘である。資性鋭敏、容姿端麗、才智は衆にすぐれ「文武両道」に通じ、詩文和歌などの文才もあり、度々藩の賞美をうえ典型的な会津女子としての義に徹し、その反面、ものやわらかな豊麗があふれていたといわれる。  東北拳法会岩手矢巾支部のBlog   本部問合せ053-439-0909(NPO法人内)


2009年3月25日水曜日

成長期の筋力トレーニング

成長期における身長の伸びは、3つの要素により構成される。1.栄養 2.運動 3.睡眠 で成長期の成長ホルモンを潤滑に作用させます。さて、ここでは、成長ホルモンを促進する「運動」での筋力トレーニング法について取り上げます。成長期の子供の骨は、「軟骨を筋肉で補強」していると考えてください。筋肉が弱ければ、軟骨に与える影響は、大きくなるわけです。野球の選手やサッカー、ラグビーの選手などに肩や腰を痛める原因が多いのは、ボールを投げるときやジャンプ、着地のときに軟骨にダメージを与えてしまうからです。そこで筋力を強化するトレーニングが必要となるわけです。それは、自分の体重を目安にして行う筋力トレーニングのことですが、例えばスクワットもそうですし、懸垂や腕立て伏せも「自重トレーニング」です。自重トレーニングで筋肉を強化すると、「筋力発揮」という動きになり、身体の内分泌系が活性化されて成長ホルモンの分泌が促され、身長が伸びる刺激になると考えられています。腕力強化では、30kgの子供であれば、30kgを目安にして自分の体重が支えられるようにする事です。最近、子供がなわとびで骨折してしまうケースが起きていて、20年前と比べると、基礎的な身体づくりが疎かになっていることが、浮き彫りになっています。「自重トレーニング」では、小学生はマッチョになることはありません。思春期の人たちも10分前後の自重トレーニングでは、過酷な筋トレにはなりません。従って体を支える部分の筋力は、伸長に大きな影響を与える事になります。オランダなどの体格の大きな国と日本を比較すると、成長ホルモンを助ける食生活と筋力に差があることがわかります。

2009年3月20日金曜日

「武道の定義」新田一郎東京大学教授

私は、歴史学者ですので歴史学の見地から一言!「相撲=国技=武道とするのも間違い」では、ないかと考える。元々、相撲は、見世物で武士の営為には、なかった。そこで「相撲をとるものが武道をする者では、ない」考えられる。となると「過激な戦闘殺人集団の武士たちが自らを抑制するために産まれたのが武道(武士道)という武士の行動の基本(哲学)である。」と言えます。まして、にほん古来の武術が武道と称するならば、空手や少林寺拳法などは、その定義に当てはまらないのではないのでしょうか。したがって「空手をやっていることが武道をやっている事では、ない」といえます。「武道は、異質なもの」と言えます。(日本武道学会から)

「武道の定義」日本サイドで武道を語っている先生方が多すぎ!初代女子空手世界チャンピオン 浜崎鈴子先生からのメッセージから!

大橋会長、 こちらの方こそ、ご無沙汰し、申し訳ありませんでした。9月は行事やら何やらで大忙しでしたが、一段落したところです。 武道学会には会長も出られたのですね。この数年、武道の定義が課題になっているようですが、私が気になるのは、武道界には日本サイドで武道を語っている先生方が多すぎて、客観的視野に欠ける気がします。是非、社会学や哲学、そしてスポーツ教育界などの方達と連携して、今後の武道の方向を定めて頂きたいと思います。井の中の蛙から脱却して頂かないと、日本の武道は世界からだけではなく日本からも取り残されてしまうのではないかと、心配でなりません。 私の旧制は岡村です。私を知って頂いているのなら多分50歳代の方だと思いますが、有難い限りです。余り、言わないのですが、実は私はWorld Karate Federation (旧World Union of Karatedo Oraganization)の初代女子チャンピオンです。空手道競技が国体の正式種目になった昭和56年(1981年)の女子チャンピオンでもあります。色々事情があり、1983年には渡米しましたが、その辺りのことは自叙伝(日米両語)に書きました。自叙伝と言っても、誰も出版してくれないので、お蔵入りになっていますが。。。浜松の竹村篤氏にまた会われることがありましたが、宜しくお伝え下さい。アメリカで、それなりに元気で空手道普及をしていると。 日本は秋たけなわでしょうか。季節感のない南カリフォルニアでも、秋一杯の今日この頃です。では、また色々日本の事情をお教え下さい。有難うございました。   浜崎(岡村)鈴子

武道の段位は、道着や帯は、どのようにして生まれたか?

 先ず段位については、将棋の段位を柔道の開祖嘉納治五郎(Jigoro Kano)が努力の励みとして取り入れ普及しました。しかし、それ以前にも示現流などでは、段位をあたえていました。皆さん御存知のように将棋の開祖は、大橋宗桂(Ohashi Sokei)1555年(弘治元年) - 1634年4月6日(寛永11年3月9日)です。将棋の段位制度で努力を認めたわけです。
 次に、道着ですが柔道で初めは、襦袢を改良し白い帯を使用していましたが稽古を積むに従い汚れて茶色くなり黒くなる過程で黒帯が誕生しました。黄色やみどりの帯は、指導者のいない外国で使用されていたのが逆輸入だと思います。空手道は、船越義珍が嘉納治五郎と演武をおこなったときに柔道着を使用し行い改良されていきました。もともと、琉球や唐手には、決められた稽古着は、ありませんでした。このような歴史的な流れがあるので私たち日本人が、あまりカラフルな道着や帯に違和感を感じるのは、襦袢の改良であったり!努力による帯の汚れが黒帯の誕生につながった為では、ないかと思われます。

こども武道憲章(ぶどうけんしょう)

こども武道憲章(ぶどうけんしょう)武道(ぶどう)は、日本(にほん)古来(こらい)の武勇(ぶゆう)を尊(とうと)ぶという精神(せいしん) を受(う)けつぎ、長(なが)い歴史(れきし)の中(なか)でつちかわれ、発展(はってん)してきた伝統文化(でんとうぶんか)です。武道(ぶどう)は、礼儀正(れいぎただ)しさを身(み)につけ、技(わざ)をみがき、心身(しんしん)をきたえ、りっぱな人(ひと)になるための修行(しゅぎょう)の方法(ほうほう)です。 わたしたちは、技(わざ)の稽古(けいこ)や試合(しあい)の勝(か)ち負(ま)けだけを目的(もくてき)にするのではなく、武道(ぶどう)を正(ただ)しく理解(りかい)して、このすばらしい日本(にほん)の伝統(でんとう)文化(ぶんか)を大切(たいせつ)にしなくてはなりません。 これからも武道(ぶどう)を愛(あい)し、修行(しゅぎょう)を続(つづ)けていくために、わたしたちが心(こころ)がけなくてはならないことを「こども武道憲章(ぶどうけんしょう)」として掲(かか)げ、これを守(まも)ります。

  (目  的(もくてき))第(だい)1条(じょう)  武道(ぶどう)は、技(わざ)をみがくことによって心身(しんしん)をきたえ、強(つよ)くたくましく、勇気(ゆうき) と思(おも)いやりと正義感(せいぎかん)をもった、社会(しゃかい)に役立(やくだ)つ人(ひと)になることをめざします。
  (稽  古(けいこ))第(だい)2条(じょう)  稽古(けいこ)をするときは、先生(せんせい)の教(おし)えや礼儀(れいぎ)を守(まも)り、基本(きほん)を大切(たいせつ)にし、技(わざ)だけではなく、心(こころ)と体(からだ)も共(とも)にきたえるよう、一所懸命(いっしょけんめい)にはげみます。
  (試  合(しあい))第(だい)3条(じょう)  試合(しあい)や演武(えんぶ)では、ふだんの稽古(けいこ)の力(ちから)を出(だ)しきってがんばり、 勝(か)ち負(ま)けや結果(けっか)だけにこだわらず、 節度(せつど)ある真剣(しんけん)な態度(たいど)でのぞみます。
  (道  場(どうじょう))第(だい)4条(じょう)  道場(どうじょう)は、技(わざ)をみがき、心(こころ)と身体(からだ)をきたえる場所(ばしょ)として、規則(きそく)や礼儀(れいぎ)を守(まも)り、清潔(せいけつ)と安全(あんぜん)を心(こころ)がけます。
  (仲  間(なかま))第(だい)5条(じょう)  道場(どうじょう)の仲間(なかま)を大切(たいせつ)にして、お互(たが)いに協力(きょうりょく)し、はげましあいながら、楽(たの)しく稽古(けいこ)し、さらに多(おお)くの仲間(なかま)をつくります。
昭和62年4月23日制定 日本武道協議会

子育ては、「葉隠」では、母親以外(代替)で出来るほど甘いものではない!

「葉隠武士道」 子育ては、そんなに甘くない! 「葉隠」では、母親以外(代替)で出来るほど甘いものではないと言っている。 何でも男女同権をていする若い日本の女性には、耳の痛い話である。

 有馬温泉で隣にいたお医者さんから声をかけられ「男脈」「女脈」の区別があり最近、「男脈」がなくなってきた話をされた。昔は、男と女は、脈も分かれていたそうである。わたしの脈を見て久しぶりに「男脈」に出会ったといった。もっとも一緒に風呂に入っていた剣道部の後輩の芝田典明氏の体格と顔を見れば、脈をとる必要も無く「男」とわかる。 その翌日、朝食時に女将より声をかけられた。「失礼ですが少しお残り頂きお渡ししたいものがある」と二冊の書物をいただいた。ともに「葉隠武士道」につながるものであった!「秋葉原無差別事件」「偽装事件」など教育のあり方が問われるこの時に「子育て」「恋愛」・・・「酒の飲み方」までの訓えがある。今、このとき「葉隠武士道」に再開した不思議がここにある。 

WBCワールドベースボールから「打って反省!打たれて感謝」

東北拳法会のコメントから「サムライジャパンという以上は、ガムをかんだりグラウンドに唾をかくのは、!」
WBC世界野球選手権についての秘話を、テレビ番組スパー・サターデーで高代延博コーチーの話を聞きました。 韓国は、グランドに韓国の国旗を建てたことについて、思うところがそれぞれあったが「我々は、旗を立てずサラッとしよう」と述べました。これは、ソウルオリンピックで金メダルを獲得しガッツポーズをしなかったさ斉藤仁選手とその後、国士舘大学の監督となり中・高・大がトリプルで全日本を制覇したときの祝賀会の言葉「私たちは、礼を尊びガッツポーズをせずに黙々と稽古し!黙々と勝つ」と挨拶しました。2008アジア国際拳法選手権大会を終えカトマンズから帰国の機中の読売新聞の記事に中島 豸木(国士舘大教授)が書いたものが載っていた。これは、東京オリンピック柔道無差別級でアントン・ヘーシンク選手が神永選手を押さえ込み勝利目前のところへ感極まった外国応援団が会場に乱入しようとしたとき「待て」と言って止めている記事であった。ヘーシンクは、勝利した後、相手に礼を尽くし神聖な道場に礼をした。この光景を目にした中島 豸木は、日本人のあるべき行動・姿勢を考え直したと言っている。高代延博コーチーは、イチロー選手の優れている点は、「走塁」と言っていたが「早くグラウンドに行き稽古する姿勢、道具を大切にする姿勢」だと思う。サムライは、「刀を武士の魂」としたのと同じことである。勝利したときの態度にもサムライらしさが出ておりガムをかんでいた選手や唾を吐いた選手は、別としてサムライらしきところは、あったと信じるがやはりアメリカ流やウェスタン流が当たり前と思っているところがあるなら反省すべきである。 「打って反省!打たれて感謝」武道家としよく言われる言葉である。

2008年国際武道研究会 in Nepal Pokhara

2008年国際武道研究会 in Nepal Pokhara
    講師:世界拳法会連盟会長大橋千秋
日本武道の歴史についてみなさんと討論したいと思います。先ず、私が概略につきお話します。
埴輪などからお分かりになるように1500前に生まれた日本の武術は、生まれたと言う説が主流です。その一つの例をあげれば鹿島神宮神官の国摩(くになずの)真人(まさと)により産み出された技「神妙剣」などのように約1000年前に確立されはじめました。1600年のはじめ松本(まつもと)備前(びぜん)守(のかみ)紀(きの)政元(まさもと)は思うところがあって家老の座を退き、鹿島神宮祝部として神武の顕現(けんげん)に志しました。これを知って鹿島に赴いた國井景(くにいかげ)継(つぐ)もとに鹿島の神前に仕えて備前守は武道大系としての鹿島神流を完成させました。1600年代には、上泉伊勢守信綱により新陰流が生まれ門下である柳生石舟斎は、柳生新陰流を創設します。同じく上泉伊勢守信綱の弟子である小笠原源心斎は明にて「張良の末」より躰術を学び李小龍のような動きをしたと伝えられています。同じように各地で体系づけら武術は、成長していきます。例えば越後では、長尾流躰術などが生れたり柔術の源流と言われる竹之内流拳法躰術が育っています。明治の初頭(1882年)嘉納治五郎により柔道が創設され神道無念流や北辰一刀流などの各流派が剣道と呼ばれるようになっていきました。しかし、学校武道の歴史の中で「○○道」となったのは、大正15年のことでそれまでは、柔術、剣術、撃剣と記載されています。このような時代背景の中で唐手、琉球拳法と呼ばれていた沖縄の武術も船越義珍により本土に紹介されました。嘉納治五郎とともに演武会が行われこの時は、決まったユニフォームがないため柔道着で行われました。この後、柔道着が空手着に変化して行ったわけです。柔道、剣道、空手道は、「競技武道」と変遷しスポーツ性を加味し多くの人に愛される試合数も多い武道となって行きましたが。一方、技が公表される試合に重点を置かず「伝承形式」の「完全相伝」でなく「一子相伝」の形を進むものを「古武道」としました。このセミナーにご参加の各国の拳法会の皆さんは、「一子相伝」では、ありませんが「競技」を重要視ししないで「武士道­=武道」として学ぶ事を第一としていることから「古武道」に属するとご認識いただいたほうがよいと思います。
大橋師範:さてK空手の指導員の方にお訪ねします。「鹿島大明神」と祭壇があるのは、空手は、日本古来の武士の営為では、ないが武士道を尊ぶあらわれでは、ないでしょうか。
 K指導者:その様に習っています。
1.大橋師範:では、お釈迦様は、ネパールで誕生しましたが拳法の達人であったことは、ご存知でしょうか。・・・・知りませんでした!
釈迦族の王子であった仏陀は、武術、馬術などあらゆる面で優れた人物でした。私たち日本人も仏教哲学の影響を大きく受けています。「黙想」のときに手を組みますが私たちは、サムライですので抜刀しやすいように右手が上に重ねます。平和を愛する釈迦は、どちらでしょう?・・・会場:わかりません!勉強します!
2.ラマ大会会長:ネパールが世界に認められるには、何が必要と思いますか?・・・大橋師範:武士道の根源「義」「信」と確信します。正義(義)は、命をかけサムライは、護り信「信頼」を失くす行為は、切腹します。「義」「信」を貫けば、世界の人々は、信頼します。信頼が多くの人が共同活動をします。
3.ラマ大会会長:タイ、パキスタン、インドも路上に食べ残し、ゴミを平気で捨てています。このような事をどう思いますか?・・・大橋師範:食事のとき「いただきます!」と言う言葉は、ネパール語にありますか?意味は?・・・ラマ会長:ありますが意味が分かりません。
大橋師範:意味は、正しいか分かりませんが「いただきます。」とは、「魚の命、お肉の命、お米の命を頂き我が命を保つ」事と拳法会の合宿では、訓話があり「いただきます!」が食事のときにとなえられます。わたしは、ここにお見えになる先生たちが生徒と共に実践し伝承することで解決すると信じます。大切な命を路上に投げ捨てることは、ありません。サムライにとって「牛の命も鯨の命も魚の命でも平等です。」全て神です。
4.ラマ会長:少なくともサムライと自覚し路上に捨てることを止めましょうね!みなさん!
5.大橋師範:時間も参りましたので最後に「拳法を稽古しているから武道を学んでいるとは、言いません」武士道を学んでこそ武道を学んでいると言えます。東京オリンピックの時のヘーシンク選手は、(略別紙)・・・。礼節ある武士(サムライ)になってください。

青少年の非行 「大人の問題・子供は、消費者!金儲けの手段」講師:藤川大祐・千葉大准教授

パネルディスカッションから。
  いまの日本の子供たちの非行について考える「大人の問題・子供は、消費者!金儲けの手段」
1.子供の非行の問題は、親に問題がある。
2.「健全育成」というと「非行、犯罪」などマイナスイメージだが如何に良い子を育てるというプラス思考で考える。
3.バブル社会で育った親は、お金が全て!これらの親は、「勉強は、何のため!あなたの幸せのためでしょ。宿題をやりなさい」と言う。これは、大変なこと・・・・「知識、勉強は、人のためや社会に役立てるため」という本来の理念のかけらも見えない。・・・これにより「多くの問題が生まれる」
4.日本の躾は、支配的宗教がないので「世間」を対象としている。「世間様に申し訳ない」ところが子供は、大人とのふれあいの場をなくしている。近所のじいちゃん、ばぁちゃん先輩たちの訓えを聞く場がない。こんな大人たちにより更に「子供は、消費者として扱われている。・・・・金儲けの手段」  昔は、お手伝いで、お店へ買い物に行くと「えらいね!これ、お駄賃といって子供として認めていた」今は、大人と同じでレジで「チーン!ハイ!1000円!」  更に「宣伝や金儲けの子供は、消費者」 小学生に携帯電話(以後、「携帯」と云う)が必要か??小中学生が消費の対象とされている。日本の大人に節操は、あるのか?世界の小学生の子供は、携帯をもっているか?大人たちは、この携帯で更に悪質サイトなどで金儲けをしている。そこで子供が「万引き」をすると「親は、すみません!」と言わず「代金を払えば、モンクないだろう!」と開き直る。・・・・「大人の問題から」

追伸:静岡県青少年育成会議顕彰授賞 大橋正康(浜松地区拳法会)武道道徳の普及と国際交流活動、清掃ボランティアなど幅広く地域青少年健全育成に貢献。

八正道 (正見・正思・正語・正行・正命・正精進・正念・正定)

1.正見 自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすること。
2.正思 自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
3.正語 恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
4.正行 本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。
5.正命 衣食住その他の生活財を正しく求める事。人の迷惑になる仕事や、世の中の為にならない職業によって生計を立ててはいけないこと。
6.正精進 自分に与えられた使命や目指す目的に対して、正しく励み、怠りや脇道にそれたりしない事で、とらわれ過ぎたり偏った精進はかえって逆効果になる場合があります。
7.正念 仏と同じような正しい(真理に合った)心を持ち、小我(自己本位)による分別をせず、ものごとの真実の実相を見極め、心を恒に真理の方向へ向けること。
8.正定 心の状態が真理に照らし正しい状態に定まる事。腹決めされた決心が外的要因や変化に迷わされないということ。

2009年拳法会の目標

五倫五常の『五常』「仁」「義」「礼」「智」「信」
The aim of 2009 of Kenpo kai performs justice「義=Gi」.
五つの天地恒常不変の真理の意味ですが、儒教においては、孔子の教えの根本をなしています。「仁」・・・仁義・真実・まこと・誠意「義」・・・正しいすじみち・義理・すじ「礼」・・・礼儀 「智」・・・知恵・ちえ・認識「信」・・・信義・誠・確信・信ずる
"Gojyo" is five unchangeable truth. 「Jin」 The humanity and justice, 「Gi」The right act,「Rei」 Courtesy,「Chi」 Wisdom,「Shin」 Faith2007年の年をあらわす文字は、「偽」2008年は、「変」でした。天変地異や、災害恐慌でなく「利・欲」による「経済恐慌」が2009年を襲っています。拳法会の2008年の目標は、「真を貫く」でしたが2009年、このような「偽を行い」「自己を主張し不義を行う」ことが平然と行われる時代であればこそ、天地恒常不変の五常、八正道の訓え「義」を貫く事を目標とします。
               世界拳法会連盟会長 大橋千秋